経済と文化の関係

   

「経済合理性のないものは残す意味がない」という正論と、「経済合理性では整理がつかない、お金以上に大事なものはある」という正論がある。特に今の時代には、前者を追求すればするほど「思い出」「伝統文化」、あるいは「国防・安全保障」といった、経済合理性とは一線を画した議論が登場する。ーー徳永勇樹

 稲作を残せというのはいまの時代では伝統文化論でもある。私はその主張の末端に居る一人だ。稲作がなくなれば日本がなくなるとまで考えている。伝統文化の中でも、稲作は最重要課題だと考えている。方言がなくなるとか、伝統芸能が失われると言うこととは、次元が違うほど深刻な問題だと考えている。

 稲作は当然国の安全保障論でもある。国の本音は稲作を国が支える意味は無いと考え始めている。政府は吟爾を失い、ただ目先の小さな利益以外見えない状態である。国は莫大な借金を抱えて、停滞を始めている。経済合理性のないものは切り捨てるほか無いと言うのが実際の状況かも知れない。

 稲作はどう廃止すれば良いかを考えなければ成らない代表的なものになっている。政府がもう維持する余裕がないという以上、農家にしてみれば止めるいがいにない。間違いなく早く辞めた方が経済合理性にかなっていると言うことになる。希望がないなら、次の方角に早く行くほかない。

 思い出とか、文明論にこだわり、先延ばしにすればするほど苦しくなる。まだ止められる打ちに止めた方がましというのが、経済の現状と考えた方が良い。しかし、思想的にどうしても継続したいという場合2つの道が残されている。

 100㏊規模以上の大規模稲作農家はかろうじて残るだろう。経済合理性があるかも知れない。たぶんそれも有機農業に限られるのではないだろうか。もう一つ残るのが、経済と関係の無い、市民が行う小さなイネ作りだけが残ることになる。

 日本の伝統文化の中でも世界の水準を抜きに出ているものに、手織りの布の文化がある。日本各地に古くから伝わる、様々な織物がある。八重山にも古い織物が伝わっている。今も若い方々がその織物を学んでいる。しかし、その織物で暮らしが立つかと言えば、それは難しいことになる。

 経済合理性からだけで考えれば、伝統的な織物はほぼ残らないことになる。残るとすれば趣味の世界というか、美術の世界でわずかに残ると言うことだろう。これは経済合理性の世界というものが、随分味気ないものであるということを意味している。単純に需要がないものは価値がないという世界なのだ。

 かつては手織りの布しかなかったわけで、その布に経済合理性があった。機械が登場し、手織りの布は良いものかも知れないが、一反100万円もするのではさすがに着ることが出来ないと言うのも、当然のことだろう。1000分の1の1000円でもそこそこの衣料は買える。さすがに手織りとはいえ、1000年は使えないだろう。

 では伝統の織物はなくなって良いのかと言えば、そうではない。伝統的織物の価値を評価できる文化は豊かな物である。この豊かさは人間が生きるという魅力の一つに違いない。残すべき価値あるものを見極めて行くのが、文化を尊重する社会のはずだ。

 類い希な伝統文化を国も保存のために努力している。伝統工芸館のような、伝承所のような施設を公に運営をしている。学ぶ人は居るが、その後の生計の立て方までは、展望がない。こういう良いものではあるが、残らないものをどうするかである。

 人間が生きるという意味は需要とは関係が無い。経済合理性だけの社会では豊かに生きるという事はできない。思想とか哲学とか宗教とか、豊かに生きるために欠かせ無いものがある。欠かせないはずのものを捨てようとしているのが、資本主義の末期的な社会なのだ。

 そうしたものは外にも数限りなくある。伝統工芸のようなものは分かりやすいが、海外の製品に代替えした方がましというので、自衛隊の制服まで外注していたら、今や国内では製造できなくなったと書かれていた。これも国の安全保障問題か。

 豊岡で鞄の製造会社をしていた友達がいるのだが、彼によると材料が日本では手に入らなくなったというのだ。その材料を作っていた唯一の会社がいよいよ製造を止めてしまったという。それが理由で、会社を辞めるほか無かったと言っていた。

 すべてにそういう時代なのだ。日本の停滞に伴い、円安の日本になった。円安の日本はまた国内生産に戻るのだろうか。例えばサトウキビは今補助金でかろうじて生産が続いている。まさに経済合理性がない代表的作物である。ところが値上がりを続けている。

 バイオエタノールである。エネルギー価格がどんどん上がるから、経済合理性が出てきたという。ブラジルではエネルギーの半分がサトウキビだそうだ。まるで、炭を使っていた時代に戻ったようだ。もちろん今のところ日本のサトウキビの経済合理性にはほど遠いが。

 私の子供の頃には薪で煮炊きしていた。日本が貧乏になれば、あの暮らしに戻るほかないだろう。日本人が8000万人ぐらいまで減少してくれれば、何とか自給できる国になるはずだ。6000万人まで減少すると言われているから、そこで安定する国作りを考えるべきなのだろう。

 

  

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