王将戦挑七番勝負 第6局 藤井聡太王将 vs 羽生善治九段

   



  藤井聡太王将 と 羽生善治九段の王将戦第6局が行われる。現在王将藤井聡太が3勝2敗である。これまでの5戦私なりに見せて貰ったが、過去最高の将棋だと思う。どの戦いも今までの将棋の水準を一段抜けた物になっていると思う。

 藤井壮太5冠は棋王戦で渡辺棋王に挑戦している。簡単に勝つと思われた終盤で、ああ詰んだと私にも分かった寄せ手順を、なぜかあの最強の棋士藤井が間違えた。玉頭に歩を打てば詰んだ。私が知る限りこういう凡ミスは今までに無いことだった。

 藤井5冠は羽生永世7冠との厳しい将棋が続き、さすがに疲労しているのかも分からない。以前から負けてもいい将棋では案外に負けるところがある。ここぞという所では負けないのだが。凡ミスで負けたことが後を引かなければ良いと思うのだが。なぜ渡辺棋聖が投了しないのかと思ってみていたのだが、最後まで刺せばこういうことも起こるのが将棋だ。

 羽生さんとの王将戦はほぼ互角の戦いでここまで来ている。現在藤井5冠に対して、互角に2日制のタイトル戦を戦えるのは羽生さんだけだろう。羽生永世7冠が登場したときも、新しい将棋の登場で刮目した。それ以来羽生将棋のおかっけのようなものだった。

 それほど羽生将棋はおもしろかった。どこで羽生マジクが出るのかとわくわくしてみていた。将棋を見るゲームにしたのは羽生永世7冠だと思う。忠勝だけではなく、予想外の奇抜な勝利が見所だった。そういえばその羽生さんも1手詰めの将棋を逃したことがあった。

 羽生将棋は画期的なものであったが、まだ理解が出来た。その後登場した豊島将棋当たりから、私の理解を超えた将棋に変わった。なぜ豊島さんがあれほど勝つのかがまったく将棋を見ても理解が出来なかった。豊島将棋は正直面白さを感じることが出来ないくらい難しかった。同時にあたわれた渡部将棋の方がまだその勝負術が理解できた。

 豊島、渡辺、永瀬の3人が羽生将棋を追い越した。羽生永世7冠は3割台まで年間勝率を落とした。そしてそれに入れ替わるように、藤井壮太が登場した。AI将棋が生んだ新しい将棋へと進化させた将棋だった。藤井将棋は豊島将棋を完成させたような将棋の気がする。

 豊島将棋がどうしても理解できなかったのは、新しい将棋の考え方を発案していたものだったと言うことが今になると分かる。豊島将棋は強く見えないのだが勝利して行くというような感じだった。古い将棋の発想の私には分からなかったものを藤井将棋にいたり、なるほどそういうことだったのかと今は感じている。

 羽生将棋はいったんは勝てなくなった。新しい将棋に凌駕されたのだろう。普通50歳を超えれば、将棋指しとしてそれが普通のことだ。ところが、藤井将棋の登場で、羽生さんは再生した。これは本当に驚くことだ。もう一度藤井将棋というか、AI将棋というか、新しい将棋を身につけて復活したのだ。

 王将戦ではまったく、藤井王将と互角の戦いである。新しい将棋の頂点の戦いは、やはりわずかな失着が敗着になって行く。その敗着が、よほどの中盤戦でのことである点が、これまでの将棋とは違う。中盤戦以降の読みが余りに深く正確なために、そう考えざる得ないのだ。

 終盤の読みの深さと速さが藤井将棋の特徴だと思うのだが、それはAIがまさにそうなのだ。羽生永世7冠は終盤力でそれに対抗している。長年培った、勝負術がさすがに上回っている。それが正確で深い藤井王将の読みを微妙に迷わせている。

 今までの5戦の内3戦の羽生の圧勝以外はどちらも中盤まで勝つ可能性がある将棋だったと思う。最先端の両者の戦いは一方的な将棋になることはほとんど無い。いよいよ、第6戦である。第六戦は羽生永世7冠に勝利してもらいたい。そして第7戦の最終局が世紀の対戦が見たい。

 この戦いはたぶん将棋の歴史に残る戦いだ。この戦いで将棋が新しい時代に入ったと言われるように思う。AIと人間の関係である。AIが切り開いた将棋を、人間が自分の使えるものに消化して、人間の思考の元に将棋を指すという形である。

 これは将棋だけの問題ではないと思って注目している。例えば政治的な政策であれば、様々な資料に基づきAIを利用して、様々な最善を想定しながら、最終的に人間が選択をする。まだまだAIの利用は将棋や囲碁のゲームの上での話であるが、必ず、新しい商品開発等に有効なものになって行くはずだ。

 スタッドミサイルが憲法違反であるかないか。コンピューターに出してもらえばすぐに分かる。AIを参考にしながら政策は立てるべきだ。内閣法制局よりも、コンピュター法制局の方が客観的で正確な判断が出来るはずだ。少なくともコンピュターを活用するくらいは早く始めるべきだろう。それをしないのは曲解をしたいからと言うことなのだろう。

 世界は崩壊に向かって進んでいるかのように見える。気候変動、マイクロプラステック、食糧問題。環境汚染。人口問題。新型感染症の登場。資本主義の限界。どれ一つとっても一筋縄では解決不能に見える。解決が可能な方法を検討するためには、人間の能力を超えている。さらに優れたAIの登場が必要なのだと思う。

 人間の能力を超えた発想と分析能力で、人間の未来を切り開くAIの登場。それを将棋は見せてくれている。政治が憲法違反の幅が余りにひどいと言うことを続ければ、客観的に人間ではないものに見てもらう必要が出てくるはずだ。どこかそ言う機能を持つ政党はないのか。

 そう将棋のことだった。将棋の発想が絵の描き方に出ていると思う。先を読むと言うことは、絵では瞬時に繰り返されている。王が詰むというようなことを想定してそこまでの手順を読むわけだ。この読むという行為は絵を描く上でもよく現われる。

 頭の中で自然に出来上がりの画面が想定されている。そこに向かうための手順を巡らせることは将棋と似ている。羽生さんは盤面で読むらしい。藤井さんは棋譜で読んでゆくらしい。棋譜で読むというところがまさにコンピュターなのだ。その意味では絵を描くということは画像で読むと言うことになる。

 将棋を梅原龍三郎は好きだったという。確かに梅原の絵にはそういう読みがある。井伏鱒二も将棋好きだったらしい。梅原龍三郎や井伏鱒二さんに、将棋なら勝てるのではないかと思う。もちろん絵でも文章でも、到底及びも付かないところである。
 

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