祈りの絵画について

   



 溜め池に再生をしてきたアカウキクサ。

 昨日、祈りの絵のことを書いたので、祈りについてをすこし考えてみる。のぼたん農園を始めて、自然を祈る気持ちで接すると言うことを感じるようになった。湧き水には水神を祭り手を合せる。それだけ石垣島の自然が厳しいからだろう。石垣島の自然と折り合いを付けること難しい。

 難しければ難しいほど、祈る気持ちになる。神頼みと言うことでも無い。神にお願いして解決してもらおうという気持ちはさらさら無い。自分の力で解決することがおもしろいと思っている。この冒険にどこまでも進んでゆくぞと言う祈りである。

 てるてる坊主である。明日天気なーれ。そして天気になる。こういう経験が何度かある。そして、祈ったのに叶わなかった願いが山ほど在る。祈りは通じないものだと言うのが普通のこと。そして諦める。置かれた場所に折り合いを付けるほか無い。自然の中に織り込ませてもらう。

 宮本武蔵が決闘に向かうときに、通りかかった神社で手を合せようとして足をふと止める場面がある。宮本武蔵は祈る心を自分の弱さだと考えて、神頼みをする弱い心では、決闘はできないと、神社で頭を下げることをしない。確かに殺し合で神頼みするなど、良くないことだ。だから豊国神社とか、靖国神社とかは嫌いだ。

 祈るのは豊年満作であり、武運長久ではない。手を使って自分の最善に対して祈る。祈りというものは願い事の神へ依頼心なのか。そんな打算的なものではないような気がする。祈ることでひたすらの努力をが出きる。祈りを通して自分を一つにまとめてゆく。

 祈ると言う精神状態は弱さではなく、自分というものの純化ではないだろうか。人間は絶望的事態に遭遇したときにも祈るだろう。ああ神様と。自分ではどうにもならないときには、祈らずにはいられないものだ。それは人間に備わったものだ。救済され無いとしても、絶体絶命の場面では人は祈る。祈ることで苦しさがいくらか和らぎ、諦めも付く。

 祈りのことを考えたのはニライカナイの海を描くことを通してだった。ああこの海は私の絵馬なのかも知れないと感じた。海を描くことで海に祈りを捧げると言うこと。曼荼羅とか、絵馬とか、イコンというようなものがある。まったく祈りの形は違うのだが、それぞれに祈りにつながる絵画である。

 神への思いのこもった絵画である。自然を描くということは自然の摂理を描くということなのだろう。海の力への祈りの気持ち。曼陀羅も、イコンも、絵馬も、自分を越えた世界へ向けての祈りの表現であり、絵を描く自分を評価してもらうなどと言う姑息なものでない。

 アルタミラの壁画のように、何万年前の人類も壁に獲物を描くことで、獲物が捕れることを祈った。獲物を追いかけて、何千メートルも走る。時には2日も3日も走り続けたのだろう。ランナーズハイはこの人類の体験ね根ざしているらしい。

 獲物が捕れるかどうかはその時の運によるだろう。良い運が回ってくるように祈らない人はいなかっただろう。それが古代人の洞窟絵画の壁画に繋がる。絵に描くという行為の中に、祈りへの想いを込めることになる。果たして縄文人は手を合せて祈ったのだろうか。

 祈りと言う言葉は分解してみれば命の法である。命の摂理に一体化すると言うことなのだ。祈りは願い事ではなかったのだ。自然と一体化することが祈りでもある。祈りは思うことである。思うことは実現するまず第一歩なのだ。行動しなければ何も出来ないわけだが、やろうと考えなければ行動もない。

 思わず手を合せると言うことがある。自然に対する感謝をすると言うことがある。これも祈りである。自然は人間を打ちのめすようなことを繰り返すが、時には絶対の優しさを持って共済もしてくれる。日本人の本性の中に染み込んだ自然への感謝の気持ちは、思わず手を合せる行為になる。

 現代でもパワースポットなどと言って若い人までもが霊験を受けようと出掛けてゆく。自然の中に霊性を見る訳だ。自然の事物を信仰する祈り。私が風景を描く一つの要素もここに在るのだと思う。神を描くような気持ちで自然を描いている。

 縄文時代は今から一万6000年前に始まり、3000年前に弥生時代に移ってゆく。一万3000年もある長い時代のことだ。最近は栗栽培が注目されているが、やはり狩猟採取時代と大まかには考えて良いのだろう。多くの骨の出土から、かなり平和な時代が長く続いたと考えられている。

 長いヨーロッパの新石器時代に日本ではすでに縄文土器が精製されている。世界最古の土器文明なのだ。その土器はあの火炎形土器や土偶に繋がってゆく、世界の古代土器の中でも、極めて独特でありいかにもシンボリックな祈りの形となっている。

 土偶は祈りの像であると考えて良いだろう。あの人間から離れた形をみれば、様々に象徴的な形をした造形なのだろう。出土された何千の土偶もホブすべてが壊されている。壊されることが前提に作られたと言われている。日本の文明が世界に特徴的なものがあるとすれば、縄文文化である。

 そこには他者は介在しない。自分と宇宙というような絶対のものとの会話になる。ある意味神がかり的な呪文土偶の象徴性がある。絵にはそういう絶対的なものとの交感がある。それが画面に表れたときに、その人の世界考えに表れたと言うことになるのではないか。

 ある意味縄文は祈りの文化だったのではないだろうか。一万4000年も続いた長い平和な時代の中で、自然の事物を祈ることが中心の暮らしがあったのだと想像している。それは栽培していたと思われる栗に対して祈る。樹木信仰。土偶に見られる人間というものへの信仰もあったと考える方が自然である。

 縄文の火炎形土器には動物の顔が取り付けられているものがある。イノシシや、鹿のような獲物が多く取れることを願って付けられていると考えられる。合唱土偶と呼ばれる、手を組み合わせて祈っているかのような姿をした土偶もある。出産の姿ではないかとも言われている、国宝4つの内の1土偶。

 縄文は祈りの時代なのだと考えている。沖縄のノロ。ウタキの信仰など。縄文の姿を色濃く残しているのだと思う。自然と折り合いを見付けて暮らしてゆく縄文文化。それは稲作を始める弥生時代に受け継がれてゆく。自然の中に自分暮らしを織り込んでゆく。
 
 絵を描くと言うことは縄文人が土偶を作るようなものなのだろう。そういう意味で土偶のような絵を描くことができればと思う。描く自分というものが、その自分を解き放ち、自然と一体化した状態で描きたいと言うことが祈りの絵画なのだと思う。

 

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