2023年明けましておめでとうございます。

   


 正月2日の書き初めの日と言っても、今年は元旦も日々の一枚で絵を描き始めているので、絵の方はすでに始まった。正月2日にはいつも書き初めをやることにしている。毎年恒例のことなので、今日は早めにのぼたん農園から戻り、字を書くことにしたい。

 書初めの書は毎年の楽しみだ。「のぼたん農園」とでも書いてみようかな。あるいは「楽観」もいいかもしれない。のぼたん農園と書いて、機械小屋の壁に張り出そうか。ラミネート加工して、貼り付けておけば一年くらいは保つだろう。実用的なものはのぼたん農園にして、やはり書としては「楽観」を書くことにしよう。

 のぼたん農園に出掛けて、アトリエカーで絵を描く。こんな風な決まった暮らしの繰返しが2年目に入る。のぼたん農園を始める前は、毎日石垣島のあちこちで描かせて貰っていた。昨年一年は石垣島の他の場所で描いたことは一日もない。いつものぼたん農園で描いていた。

 今年ものぼたん農園に通うことになるだろう。実はその理由はある。のぼたん農園が発している力強いさに取り囲まれて絵を描くのが言い。ものを見ると言うことよりも、自然の中で感じながら、自然に向かって描くと言うことが重要なのだと思う。
 絵を描く。一休みで、田んぼを見て回る。水牛を見に行く。人が来たら一緒に作業をする。「シタノタンボニイマス。イズル。」農場の入口に板を吊り下げられるようにしたらおもしろい。のぼたん農園に来たらこの板を表面に返す。イーハトーブみたいで愉快じゃないか。

 水彩画を描くことは今年も一日一枚を続けていく。頭で描かないように努力する。そもそも理屈っぽい性格だから、大脳で絵を描いてきた。絵はこうあるべきだという所から絵を描いてきた。絵は自己否定の連続だと考えてきた。獲得したささやかなものを後生大事に磨くようなことは、藝術の目的ではない。この確信は今年も続くだろう。これがそもそも大脳の左脳で考えることだろう。

 最後の自己否定は自分らしきものの否定。自分にこだわらないで、おおきな宇宙に一体化するような自己に到達すると言えば大げさになるが。どのように自然に対して、眼を開き接するのか、ここが課題だ。自分という枠組みで都合良く自然を見ないことだろう。自然の摂理を感じてそこに自分の感性を重ねて行く。

 自然はおおきな波動を放っている。波動などと書けば、エセ科学ぽく成るが、科学的な意味で自然というものは確かに大きな力を発している。絵を繰返し描いていると、何故特定な場所に引かれるようになる。自然が発している力に原因があるように感じてくる。

 自然の持つ力がその場に湧き出ているような場所がある。例えば西表島では植物がすさまじい力を放っている。それを偏見なく感じるために、小さな自己のこだわりを捨てなければならない。自分が絵画制作すると言うよりも、先ずは自然の持つ力を感じてそこに絵をを委ねることだ。委ねるためには繰返し描く以外にない。

 水神というものがある。湧き水への信仰。富士山信仰というものも在る。ニライカナイの海への信仰。沖縄には至る所に神の降りるウタキと言う神聖な場がある。自然の中に何か人間に力を発してくる場所がある。自然が向かい合う人間に反応するのか、何かを響かせてくる。

 それに最初気付いたのは、何故火山にひかれて、描くのだろうと思ったことからだった。大地には力があると感じた。山の中にあるエネルギーがあふれ出ている。そのエネルギーに反応しようとして絵が描きたくなる。あの山の大きさを絵にしたくなる。

 良く出来る田んぼとそうでない田んぼの違いを考えていてのことだ。良く出来る田んぼは何か力を発している。田の神様がいる田んぼ。絵が描きたくなる。神田という場所がある。神にささげるお米を作る田んぼ。水神との関係がある。

 記憶の中に残ってくる風景というものは、自然の力が強いために、心の中に強く染み込んで残るのだろう。そこを繰返し描いている内に、だんだんそこにある力を感じられるようになる。まだその自然の力をとらえきったとは言えないのだが。
 
 日本各地を絵を描き歩きながら、引きつけられる自然を見ながら、だんだんにそういうことに気付くようになった。そしてたどり着いたのが石垣島である。神ノ島と呼ばれる竹富島に向かい合う、崎枝の「のぼたん農園」である。良くたどり着けたと思う。この場所で描いて行けるしあわせを思う。

 のぼたん農園の自然の力を受け止めながら、絵を描くということで自分の中に生まれる力を感じる。妄想なのかも知れないが、ともかく今は自然の発しているものにまかせて、絵を描こうと思っている。それが出来るのかどうかは分からないが、この道を進むことが自分の絵だと思う。今年の目標である。

 畑や田んぼの絵を多く描くのは、自然の中に人間の暮らしを織り込んでゆく姿に惹かれるからだろう。伝統農業は自然の摂理を受け止めて、農耕は行われる。特に江戸時代に出来た田んぼを中心とした伝統農業の姿は、人間が自然の中で生きてゆく姿そのものである。

 伝統農業の中には人間が生きると言うことが集約されている。日本の生み出した、循環型農業は最も永続性のある人間の暮らし方ではないだろうか。何千年でも繰り返して行ける農業の形である。その形には見事に調和した自然との折り合いの付け方がある。

 それは太古の手つかずの自然よりも、人間の営みを加えた見事な形なのだと感じる。これを描きたい。この風景が自分を引きつける。自給農業者として生きてきたと言うことも加わっている。絵を描くことの背景になるのが、のぼたん農園を作り上げることだと思う。
 
 のぼたん農園は5年計画で最後の冒険に乗り出した。2年目に入る。1年目は土木工事の完成。2年目は通年を通しての耕作の実証実験。今年はいよいよ始まる。「直播き栽培」「ひこばえ農法」「アカウキクサ緑肥」「水牛利用」「田んぼの畦畑利用」「麦大豆の畑」「熱帯果樹園」考えるだけでも嬉しくなってしまう。

 どのように農地を循環させることが出来るのか、その形を模索したい。「のぼたん農園」を一つの宇宙にしたい。先ずは田んぼは直播きで進めたい。直播きは前回良かったのに、今年は被害が出た。たぶん様々な動物が餌場にし始めたのだろう。

 海を見て祈りの気持ちがわいてくる。祈りと言う気持ちが始めて分かるようになった。。自然の崇高な世界にただ頭を下げたくなる気持ちだ。それは絵を描く思いとかなり似ている。今年はそんな祈りの気持ちで絵を描いてみたい。そんなことができるかどうかはわからないが、そういう世界に近づく年にしたい。
 
 のぼたん農園は風景を作っているのだと思う。自分の世界観をのぼたん農園として表現している。絵を描くように風景を作る。素晴らしい風景をつくることができれば、農場としても素晴らしいものになるはずだ。今年は美しいのぼたん農園になるように努力を続けたい。

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