キーボードフィンガーになる。
2025/04/24

農作業をしていた時に突き指をした。右手の中指と薬指である。突き指自体は軽いもので、本来ならば1週間もすれば、何もしないでも治る程度のものだった。ところがそれが1か月もたっても直らない。むしろだんだん痛さが増して、2か月後は何もしないでいても気になることになった。
さすがにこれは何かおかしいと思い、調べるとキーボードフィンガーというものらしいということが分かった。その時には人差し指を含めて、右手の3本の指が痛いというレベルになっていた。まあ、忘れていられる程度ではある。キーボードを打つのがつらくなったのだ。
思い当たるのが、キーボードの不具合のことだ。富士通のパソコンを買ったときについてきたキーボードなので、購入したのは沖縄に引っ越したときのことだから、2018年の暮れである。パソコンは2019年から使っていることになる。キーボードも6年間ほぼ毎日使っている。
キーボードは一部のキーが動きが悪くなり、途中他のキーボードに変えていたのだが、何とか清掃をしてまた元の富士通の慣れたキーボードを使っていた。所がどうもそれがいけなかった。打ち心地が悪いので、ついつい力を入れて打つようになっていたようだ。
そこでキーボードを良いと言われるものに買い替えた。私にはこれは高いものだった。東プレ Topre REALFORCE RC1 キーボードというものである。指が治るなら仕方がないと思い購入した。購入した時には指にいいか悪いのかはわからなかったが、今のではだめなことだけは分かるので仕方がなかった。
変えてから2週間がが経過したころから、指がいくらか痛くなくなった。キーボード自体はまだ打ちにくい。やはり慣れたキーボードの方が早く頭の流れで打てる。しかし、打ちにくいに関しては、2,3か月使えば、慣れると考えて我慢している。実際だいぶ慣れてきた。
昔の小説家の人が、万年筆の書き心地の自分に合った良いものに、こだわりがあるということを読む。書いている感じと頭の中の動きが連動しているから、その万年筆でなければ、発想が出てこないということはよくわかる。それは絵を描くということはそういうことで、弘法は筆を選んだはずだ。
絵の場合のことを言えば、これが難しいところだが、描きやすい筆がいいということでもないのだ。そこがなかなか絵の厄介なところである。ある方向に描きにくい筆だから、自分の絵が現れるということがある。頭の中のものが出てくるといっても、自由に出てくるというようでもなく、絞り出してにじみ出てくるようなものだ。
自分が、絵が引っ掛かりながら出てくるという方が近い。絵は身体で描いている。頭では描かない。身体はあまりに流れに乗りすぎるのも、上滑りになるらしい。心と身体が、一体になってもらうには、手先の仕事になることはかなりまずい。
キーボードの打ち心地の場合、頭の中の文章が湧いてくる流れの速さに適合して打てるようでありたい。湧いてきているのに、それがうまく打てないでいれば、文章が発想が滞ってしまう。当然キーボードの文章というものがあるのだろう。原稿用紙の文章があり、筆による文章もある。また口述という文章もあるのだろう。
AIに文章を読ませたら、その違いを判別できるに違いない。文体というものがその人らしさをにおわせているものであると思う。井伏鱒二氏の文章が一番好きだ。きっと万年筆書いて居たと思う。調べるとやはりペリカンのものだとあった。(冒頭の写真はそのこと。)鉛筆ではないだろう。付けペンでもない。筆ではもちろんない。
冒頭の写真は井伏鱒二のペリカンの愛用の万年筆のことが書かれているものだ。一番好きな文章である井伏鱒二の文体は万年室であるに違いないと思っていた。それでネットで調べたら、こういう写真が出てきた。いつもネットで調べながら文章を書いている。便利なものだ。確認ができる。
あの井伏鱒二の骨太の文体はペリカンである気がしていたのだ。本当は井伏鱒二の文章をまねしたいぐらい好きなのだから、ペリカンで書けばいいのだ。実はペリカンを昔持っていた。文章を描くのは昔から嫌いではなかったのだ。しかし、そのころ好きだったのは、志賀直哉だった。
あの時のペリカンはどこに行ったのだろう。お母さん。ほら松陰神社の家の、あの古い机の引き出しに入れて忘れてしまった。という気持ちになった。せっかくペリカンで書いたが、到底良い文章など書けなかった。そう志賀直哉の文章を原稿用紙に写してみたのだ。
まだ井伏鱒二氏の文章の魅力までは理解が届かなかった。高校の教科書で山椒魚 読んではいたが、語り継口の味わいということまでは分からなかった。確かにあの作品は面白いが、何度も読んでみて井伏鱒二氏の、晩年の当たり前の文章の方が好きだ。
キーボードフィンガーのことだった。軽く打つということを覚えなければ駄目なようだ。どうしてもガツンと打ち込むタッチでいると指が痛い。どう軽く打てるかが、大切になる。開成のドコモショップで、すごい打ち込みの方を見た。軽やかに指が目に見えないほどの速度でキーボードの上を踊ってゆく。
あれくらい軽いタッチで打つものだとわかった。力んで打つようなものではないわけだ。良いキーボードは確かにかなり軽い打ち込みでも反応してくれる。打ち方が治るまで、気を付けていなければならない。軽く軽く、軽やかに。つまり頭の中の脳の反応も軽く軽くということだろう。
指の動きのリズムに脳の動きは連動している。パソコン打ち込みで煩わしいのは、誤転換である。これで脳の発想が止まる。戻って直している間に、次の文章が出てこなくなる。だから、誤転換のまま文章を書き続けることになる。後でまとめて治す。直しから外れている場合も多い。
キーボードでもう一つはテンキーのあるものはだめということ。パソコンで数字を打つようなことはほとんどないので、いらない。いらないのについているので邪魔。また腕を支えるキーボードレスト枕は使ってみたが、私には合わなかった。机に手首を載せて打つ。軽く手首を浮かせるぐらいの方がいい。
最近はキーボードの打ちすぎなのだ。3時から6時30分まで打ち続けていることがよくある。文章を書くのに時間がかかるようになったということがある。だんだん早くなりそうなものなのに、試行錯誤をしている時間が長くなっている。