陰謀論に巻き込まれないために

   



 陰謀論のSNSによりひろがり社会を破壊しようとしている。トランプ氏やマスク氏のように、陰謀論を利用して政治を行い、国を地獄に進める、とんでもない人間が現れている。日本でも兵庫県知事選挙は、立花氏の仕組んだ陰謀論選挙で、犯罪者が被害者面して選挙で選ばれる結果になった。

 陰謀論が広がったのは、コンピューター革命によるものだ。陰謀論に対する社会の調整機能が働いていない。今までの社会の人間の能力で陰謀論の蔓延を止めることは不可能なのかもしれない。コンピュター自身が陰謀論を指定できるような警告システムを持たなければ、抑えることは不可能な気がする。

 今のところ、陰謀論を発信する側の方が、ネット社会を悪用している。制御が出来ない状態である。自由主義の思想が、ネット社会では悪用されていると言える。自由の限界が狭まっているということをも感じる。本来自由は、成熟した人間がその理性で、自由の枠を守るということで維持されるものだ。

 ところが、まともな人間が100人中99人いるとしても、1人の人間がネットを悪用して、社会破壊を企てると、その情報発信力は良識のある99人を超えてゆくことになる。それが自分さえよければよいという形で、社会の衰退を招くことにつながっている。

 韓国では大統領自身が不正選挙論を信じてしまった。そのことが戒厳令を命じることになり、国家転覆ということで、逮捕されることになった。どう考えても、陰謀論にはまったのだ。何故陰謀論にはまるかと言えば、自分に都合よくものを見ようとするからだ。

 尹大統領は昨年12月12日、国民向け談話で、「(選管の電算システムが不十分だという)国家情報院の報告を受けて衝撃に陥った」と主張した。が、ペク前次長は「そのような報告をしたことはない」と述べた。尹大統領は誰からどんな報告を受けたのかがおかしいではないか。

 シン室長は「中国の選挙介入の可能性」など尹大統領代理人の荒唐無稽な質問に、答弁を拒否した。尹大統領の不正選挙関連の主張のうち、どれ一つも同調を引き出すことができなかった。当たり前すぎることだ。韓国のネットコントロールレベルは、選挙管理システムに侵入して改ざんを許すほど甘いとは思えない。

 それを大統領自身が起こったと考えてしまったのだから、陰謀論にはまり込んだとしか思えない。その理由はたぶん、大統領を支える民主主義的な複層的体制ができていなかったからだろう。トランプ氏もマスク氏も同じである。大統領という独裁者に、正しい情報が閉ざされている可能性があるようだ。

 兵庫県知事という立場を見ると、大統領的権限を持ちうるということのようだ。これが、間違ったところに自分を進ませてしまった原因なのではないか。内部通報があった時に、犯人探しに走る知事は、自分に対して転覆をはかる陰謀論を信じたのだ。

 だから、冷静に調査委員会に判断を依頼するということができなかった。ただ怒りに身を任せ、敵を洗い出し、叩き潰せというような、行動に走ったのだろう。しかし、その知事の行動はどう考えても犯罪行為だと思うが、なぜかいまだに逮捕されることがないのか。

 知事という立場が、大統領と同じで、法的に守られているのではないか。そういう治外法権的な中に置かれていると、人間が特殊なものになり、まともな判断ができなくなる人もいるのだと思う。政治家が先生になるのは良くないことなのだ。あくまで選挙民の代理人である。
 
 反対側から見たらどう見えるかを常に頭に置いておかなければならない。韓国の大統領の方は、ずいぶん有能な方には見える。その有能な方が、ネットに選挙不正などという、ばかげた陰謀論を信じるに至ったのは、まさに王様に諫言する人がいなくなったということだろう。

 トランプ氏も自分の主張に批判的であれば、即座に止めさせる。イエスマンだけが、周りに存在することになる。これが陰謀論の発生源になる。都合の良い、喜びそうな情報を伝える人しか、徐々に周囲にいなくなる。そして科学的、論理的思考を失う。

 石破氏はよく勉強する人らしい。国会答弁でもどんな分野のことでも理解したうえで語っている。その点では、今までに見たこともない総理大臣だと思う。本をよく読むということは、陰謀論にはまりにくいだろう。ネット情報で、判断する人は陰謀論者になりやすい。

 農業でも本で学んだ人は、陰謀論農業にははまらない。所がネット情報で農業をする人は、陰謀論農業が大好きである。叢生栽培、無肥料栽培、不耕起栽培などが、ネットでは収量を無視して語られる。収量がどうでもいいのであれば、農業ではない。植物が萬作になる農法でなければならない。

 家庭菜園で楽しみでやるなら、好き勝手で問題ではないが、そこで獲れたもので暮らすという自給農業では、収量が最大の問題になる。最小の努力で最大の収量を上げる農業でなければ継続が出来ない。所が草を取らなくていい、肥料をやらなくていい、耕さなくていい、それなら楽だと思い込まされるのが、陰謀論農業である。

 そういう圃場がないわけではない。そうした農法が可能な農地がある。め
ったにはないのだが、条件のそろった圃場がないわけではない。しかもそういう恵まれた農地で、10年以上かけてそういう状態に至る。昔の農家はそうしてご先祖様のから引き継いだ農地を大切に管理を続けたからできたことなのだ。

 陰謀論や似非科学を否定するだけの科学性を持ちたい。つまり良い仲間を持つということだ。良い仲間を大切にすれば、間違いを指摘してくれる。冷静な判断を養うことができる。だから、一人の農業よりみんなの農業の方がいい。互いのやり方を比較してみれば、一目分かることになる。一人が10年かかかることを、10人なら1年で確かめられる。

 絵を描くということでも仲間がいなければ、独りよがりに陥る。深い自己探求をするためだからこそ、独善に陥ってはならない。冷静に人の意見を聞けない人は、成長をできない。過去の良し悪しにとらわれず、未来の絵画がどうあるべきを探求するためには、一人にならないことだ。

 観察と実験。これが何をやるときにも必要なことだろう。正しい理論で想定して実践してみる。それで収穫がどうなるかが重要だと思う。観察、実験、結果検証。再実験、これを繰り返してゆく必要がある。常に自分の想定を疑うことである。

 農業技術においては、満作の作物が目標である。稲の本来の健全な姿に向かわなければならない。それにはまず満作の形を知らなければならない。品種による差はあるが、基本は15枚の葉がでる。分孽ゲツは20本以上である。穂は100粒以上。これ以上でなければ満作とはいえない。そして結果として反収10俵を超えること。
 そうでないものは農業技術とはいえない。だから福岡正信さんのやり方は農業技術であるが、川口由一さんのやり方は技術として成立していなかった。稲葉光國 さんの稲作は有機農業の正しさを証明したものである。収穫という結果から判断しなければならない。
 農業は結果が明確だから、何が正しい農業技術課は明白である。それでも陰謀論的農業が蔓延している。多くの人が、陰謀論を信じたい心境が広がっているためだろう。それは社会がコンピューター革命の転換期にあるたからだ。こういうときにこそ、科学的な考え方を常に意識している必要がある。

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