3,100歳までの絵の描き方

   


 
 百歳まで生きるには三つの要素が必要ではないか。1,運動健康法、2,食養生、と書いた。そして今回は3,絵の描き方である。身体とそれを作る食べ物をしっかりと考える。そして何より心のことである。心が充実していなければ、100歳は無理である。前向きな気持ちで絵を描き続けられる間は生きている。

 食事、運動と書いてきたが、最後に最も重要なことは生きる心の張り合いである。生きていると言うことのすべてを絵を描くと言うことに集約してきた。若い頃自分はどう生きたいのかなかなか分からなかった。どう生きるのかで揺れ動いていた。

 あきらめがついたと言うこともあり、今は生きているすべてを絵を描くことになっている。日々よりよく絵を描くと言うことも案外に難しいことで、昨日より今日描く絵。そして今日よりも明日描く絵が、良くなっていないのであれば、100歳まで絵を描く人生はあり得ないだろう。100歳が頂点になるように、今があると言う意識でいる。

 ほぼすべての絵を描く人の絵を見ると、50歳を超えて衰えてゆく。年齢と共に絵が衰えている。わずかに天才と呼ばれる中川一政のような人だけが、90歳を超え、100歳に向かい絵が良くなっている。私も例外では無いとは思うのだが、それでもなんとか気持ちだけは100歳に向かい明日こそと思い絵を描いて行きたい。

 比較するのではおこがましいことではあるが、マチスであろうとも、ダビィンであろうとも、生きるという意味の価値は別段生きる命としては、私と変わらない。自分を存分に生きなければ、生まれてきたありがたさに申し訳が立たない。

 明らかに若くして何も出来ていない以上、これからすこしづつ良くなっていかなければ命として話にならない。生まれて、生きてきた甲斐がない。出来るだけの努力を100歳まで続けたいと思う。今日これから描く絵のために生きたい。

 自分という人生の限界まで生きて行く気だ。それが心の張り合いである。その方法である。100歳までの絵を描く人生とは70歳を超えても、前の絵より、今日描く絵が良くなるための方法である。これは実に難しいことだが、努力だけは続けるつもりだ。

 毎週絵をブログで展示することにしたのはその確認と言うことである。私の絵の描き方が、正しいか正しくないかは描いた絵を見なければ分かるものではない。そこで展示しながら、自己確認をしようと言うことである。案外自分のことが分からないのが人間である。少しだけでも、客観視する場を作れる。

 70歳をスタートにブログでも絵を積極的に展示することにした。15週前からは、定期的に日曜日に絵を展示することにした。これはブログダイエット法のようなものだ。絵が良くなっていないようであれば、残念な人生と言うことになる。口にしてしまうことは未来を変える。

 絵を語る会を出来ないということがある。絵を持ち寄り自分の絵を語る会を年4回行っていた。ところがこれが出来ない。出来なくなってみると、自分の絵の確認の場を失ったと言うことに気付いた。このままでは危険だと思う。

 絵を描くと言うことは一人でやることだから、一人だとつじつまが合う。とんでもない衰退でも気付かない。公開すると言うことがないと、自分では自分は見えないものだ。公開する方法を新しく考えないと危ういと思い始めたのが、ブログ展示である。

 絵が少しでも進歩できることにすべてを注いで生きる。それが当を得ているかどうかは絵を見れば分かることである。こうしてみると、毎週平均3枚くらいは描いているようだ。これは絵を描き始めた頃から、同じようなものだろう。このくらいが調子の良いときのペースである。

 ただ、描かないときには全く描かなかった。描きたいという気持ちが湧いてこなければ、絵は描かないことにして来た。もう絵を描きたくならないのかと思うような長い空白もある。最近はコロナの性もあって、絵を描く以外何もない。

 他に心を埋められることが出てくると、絵を描きたいという気持ちは減少する。ただ、そういうときの方が実は絵を描く内側の蓄積のようなものが育っていると思う。絵を描くべき心の何かが育たなければ絵の成長などあるわけがない。コロナは自分の命に向き合う機会になったと思う。

 その時その時に最も心引かれることに精一杯生きる。そういう生き方でなければ、絵に描くべき内容が育たない。自給自足に生きる事にかけていたころは、ほとんど絵を描いていない。すべてをそのことに費やさない限り、そこから自分の心を育てるものは成長しない。絵はその後に自然に生まれてくるものだと考えてきた。

 今は石垣島で絵を描いている。明日もここに描きに来ようという気持ちでその日を終わっている。気持ちよい期待感で一日が始まる。正直いい絵日もあれば、ひどい絵日もあるのだが、ダメはダメなりに前向きな気持ちでその日を送ることが出来る。

 展示には昔描いた絵ももう少し織り交ぜて出してみようと思う。どう変わってきたのかを確認も出来る方がいい。ウエッブ公開は私にとって良い方法だった、といえるような結果を出したい。見てくれる数人から反応がある。ありがたいことだ。見ていると言ってもらうだけで、気持ちが違う。

 絵を描くと言うことは孤立して行えば、おかしくなる。そういうおかしな絵になった人を沢山見てきた。絵を描くと言うことが私絵画である以上、心が狂えば、狂った絵になる。公開すると言うことは羅針盤になるかもしれない。

 日々絵を描く。そしてそれを公開する。これが、100歳までの絵の描き方のようだ。春日部先生は個展はまな板に乗せられるようなものだとよく言われた。生きた心地がしないと言われていた。もう個展というものも成立しない時代なのかもしれない。

 個展を行ったとしても、見に来る人は極めて少ないだろう。公募展も中止である。開催することも不可能な状況である。こうした新しいコロナの時代には、それぞれの作品の公開法を考える必要がある。

 従来の絵の公開法が失われている以上、何か考えるほか無い。今度水彩人では水彩人の東京都美術館展が開催中止である。そこでウエッブ展示を行うことになった。開催は9月を目標にしている。その時は是非互いに相互批評を行いたいと思う。

 

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