カジノ賭博場にまつわる醜悪さ
横浜でカジノ賭博場の説明会があり、紛糾したと報道されている。横浜市の行政のやり方は一方的に説明をしたに過ぎない。反対意見に対しては回答はなかった。こんな説明会は聞いたこともない。醜悪なものの説明などできない。
行政は反対があると予想される事業において、住民の反対意見を聞く場を設けるべきだ。住民は当事者である。抗議に足して対応をする義務がある。それが民主主義社会の当たり前だ。横浜市のやり方はいかにも説明会をしたというスケジュールをこなしているに過ぎない。
ここには人間がいない。住民にはその場での人間の暮らしというものがある。その場で生きている人間に対して、行政として説明するという事は当たり前のことだ。ただこういうものを作ります。作り方などの質問についてはさらに回答をします。これでおわりです。血の通った行政と言えない。守銭奴になったのだろう。
説明を求めた意見ではないので、回答は致しません。何というひどい答え方だ。こんなものを説明会とするとは全く驚いた。こうして悪い説明会の前例を作ったという事だ。これからの行政は住民に反対のある説明会では、この手で取り組む事になるだろう。それならば、住民は説明会をボイコットするほか道がない。結局のところ、賛成派の建設会社などが動員する住民の賛成意見だけの説明会で終わることになる。
賭博場を拝金主義で作りたいという人間の考えそうな汚いやり方だ。こんなひどい市長を選んだ横浜市民も悪い。と思えば、実はそうでもない選挙時の理由がある。やり方が実に姑息だ。選挙の時は態度を保留していたのだ。カジノを進めることが正しいことだと考えているのであれば、堂々と賭博場を誘致すると表明すべきだった。こういう人間は、お金に魂を売った人間というのだろう。何とも気持ちが悪い。
二枚舌でごまかしても、言い訳はできない。態度保留と言いながら、選挙が終われば推進する気でいたのだ。つい一年前にこれほど重大なことの判断もできない人間であれば、明らかに市長失格である。
問答無用で賭博場を作ろうという姑息なやり口だけなのだ。形式的な説明会など開く必要はない。賭博場開設の是非の住民投票すべき案件である。ただでさえ、日本はパチンコ屋という賭博蔓延国である。世の中一定豊かになったのだから、もう賭博場で税金を稼ぐ必要はない。どうやって賭博場を減らしてゆくかが日本の課題である。こんな常識が通用しない日本になったのかと思うと情けない。
カジノ賭博場を作るなど、金儲けだけを目的にした、ゆがんだ国の行いである。日本はパチンコ屋という賭博場が住宅地にまで蔓延している。公営ギャンブルもすでにいたるところに存在する。国は経済をこれ以上ギャンブルに依存させてはならない。
不健全な経済は負の結果を生み、日本の未来を腐らせてゆく。あぶく銭を国が奨励するなど、とんでもないことである。誇りを失った日本の未来が見えるてくるようで不愉快極まりない。不健全な外国資本の流入など、何がありがたいのか。アベ政権の作り出す日本の未来像に失望する。それを支持する日本人にも失望する。
アベ政権のカジノ誘致はトランプの依頼にこたえた形という事が言われる。もし、そうだとすれば属国として致し方ないという事なのだろうか。カジノと米軍基地と較べてどうだろうか。悪いものとさらに悪いものは、較べようもないか。
日本のような小さく、資源の少ない。災害の多い国が発展するためには人間である。人間教育である。そういう国柄でありながら、一発千金を賭博に求めるような、非生産的な人間を行政が推進するようでは、人間は育たない。人間が育つためには地道な努力しかないのだ。カジノ賭博を奨励したアベ政権は日本では初めての政府だ。最悪の政府、それを選択した最悪の国民として、未来に記憶されることだろう。恥ずかしい。
教室の現場だけきれいごとを言っても、大人の本音は拝金主義だ、お金の為なら何でもしていいのだと子供たちは見抜くことだろう。こういう傾向は日本の社会に蔓延している。金儲けの何が悪いと居直る金持ちが増長している。金儲けを人生の目的にするのは悪いことなのだ。まして、賭博で金儲けしようなど最低のことだ。
ギャンブルのような憂さ晴らしで大切な人生を台無しにしてはならない。苦しくとも地道に未来を追い求める。生きる目標があれば、賭博に依存すること等起こらない。一人一人が自分の生き方を見つけることが出来れば、賭博場に行く暇などなくなる。
今日一日の大切さを知れば、いま何をすべきかは見えてくるはずだ。自分の命の本当の希望を見つけることだ。自分らしい生き方が見つかれば、賭博に費やす暇などないはずである。ギャンブルを推奨するのは、嫌な仕事を我慢してやらされることの憂さ晴らしだ。
横浜で港未来地区にギャンブル場を設置するという。赤レンガ倉庫のそばなのだろう。10年後の横浜の恥の施設になること間違いなしだ。横浜は暮らしたい街上位である。今後賭博愛好家の街と呼ばしてもらう。横浜という、憧れの街に賭博場を作ろうとする。何という破廉恥な市長であろうか。
小田原には競輪場という負の遺産がある。文教施設に隣接している。お城に隣接している。それが、税収があるからやめられないという小田原市の現状。これは小田原の哀れである。恥である。戦後の食べるものにすら困る時代ならともかく、この時代には見苦しいだけのものになっている。あの見苦しさが分からないようなら、市長はやめるべきだ。
賭博場は始めてしまえば、簡単にはやめられない事になるのだ。背に腹は代えられないという事になる。しかし、小田原が競輪場で失っているものを考えるべきだ。何といっても競輪場で賭け事で夢中になるみすぼらしさである。賭け事は悪事である。悪所である。
市民の誇りに日々傷を付けている。そのそばで暮らす情けなさを考えるべきだ。地価を下落させている。あんなものがなければ、高級住宅地である場所だ。住宅地の地価評価が下がっている。立派な住宅地になればそこからの税収の方が高くなる。
ギャンブル場の立候補地は長崎を除いて、大都会だけだ。大都市というものの欲望の醜さが見えてくる。北海道は設置しようと考えてはいたが、取りやめたという。地方社会の方が健全という事である。金の亡者が都市に集まる。長崎は平和の街ではなかったのか。
都市を捨てて、田舎に行こう。田舎でまともな暮らしをしよう。その方がはるかに金儲けよりも楽しいじゃないか。賭博場から遠いい田舎なら人間らしく暮らせるだろう。都市に拝金主義者は集中しているようだ。金儲けの何が悪いという人は田舎には居なくなる。
横浜市の行政は金になれば何でもやろうという連中である。こうして金儲けだけを価値とする日本国は倫理を捨てようとしている。日本の未来を暗くしている。横浜の小学校の倫理の時間では、金儲けは素晴らしい、人生で最優先すべきものだとでも教えているのだろうか。
この拝金主義は資本主義経済の最も憎むべき点だ。お金では人間の目標は買えない。お金では日本の沈没は止められない。日本は瑞穂の国である。食糧を作るという原点からやり直せばいいのだ。ああ腹が立つ。腹が立ちすぎて文章がおかしくなってしまった。