インフルエンザ特効薬ゾフルーザで耐性ウイルスの登場

   


インフルエンザの特効薬として、今年新しく出た塩野義製薬のゾフルーザが73%というまさかの耐性ウイルスを生み出していた。調査数が少ないので、まだ暫定的なことではあるが。ゾフルーザは一回飲めば効果があるというので、風邪を引いたならお医者さんにいって、薬を飲めばすぐ治るからと周りからも、何度も言われた。ところが画期的の新薬のはずが、ウイルスがこの薬に対してすぐに耐性菌を作ることがわかってきた。薬の認可時点でこれがわからなかったのだろうか。ウイルスも生き物だから、しのぐ術を編み出そうとする。薬というものは常により強力な菌を生み出す役割をしている。タミフルだって同じことだ。院内感染というものはこういう経過で置きやすくなる。人間は病原菌といたちごっこをしているに過ぎない。病気を完全に征圧できるなどという、おごった考え方を捨てなければならない。あくまでも折り合いの付け方なのだ。これはワクチンも同じことだ。ワクチンで完全に病気を抑えることはできない。ワクチンがより強力な病気を生み出す可能性もある。野生のイノシシのワクチンなどとんでもない発想である。

何があっても薬は飲みたくない。死ぬほど薬が嫌いだ。薬のお世話になるくらいなら死んだ方がましかもしれない。そう思ってやってきた。風邪を引いたならば、それは自分には必要なことで、治るまで静かに静養していろという指示だと思っている。風邪を引くことも私という人間とからだをただすために必要なことが起きたと考える。まだ死ぬことまで必要で起きることとは受け入れられないが、風邪ぐらいなら耐える。高熱に耐えている。この熱が出るということは、身体的に必要で起きているのではないかと思っている。今年高熱が出たのは、暖かい石垣から、何しろ夏日のあるような石垣の正月から、突然、寒い暖房のない舟原に移動したためだ。これが体に明らかに無理だった。無理をした代償として、風邪の病状が出たのではないか。だから熱が引けば寒さに対応できるようになる。その通りになった。へりくつかもしれないが、内観法ではそう体からの合図であった。

インフルエンザに限らず、様々な病気が大流行になる原因は人間の暮らし方の方にある。ペストのヨーロッパでの流行も人間が、不衛生な都市に集中して暮らすようになった結果起きたことだ。インフルエンザの流行は大規模な畜産業の出現にあるとみている。エイズやエボラ出血熱の流行はアフリカの生活の変化に要因があるのではなかろうか。もし以上の推測が当たっているとすると現代人の暮らし方は極端化している。それが新しい病気を生み出す恐れが十分にある。効果的な薬を大量に摂取する。合成化学物質を取り込んでいる。特に病気になると薬に依存する新しい暮らし方を原因とする、大きなしっぺ返しが来ると思わざる得ない。薬の効かないインフルエンザが現れるぐらいならまだいい。感染力自体が強力化したウイルスの登場もないとはいえない。しかもその病気に感染したら、たちまちに死に至るものになるかもしれない。私はそういう病気が登場するのではないかと恐れている。だから、病気に薬で対応するという考えを受け入れないのだ。

ではどうしたらよいかである。人のことはわからないが、私のやっていることを並べてみる。自分の身体を毎日内観すること。定期的に、自分の体の中を頭からつま先まで感じてみる。内臓もいちいちどう感じられるか確かめてみる。なれてくるとすこしづつ感じられるようになる。おかしければそこで対応する。つぎに機器を使った計測をする。体重や血圧、内臓脂肪など計測できるものはできるだけ計測している。ここに変化があるときに、原因を考えてみる。フィットビットで心拍数は24時間計っている。これはかなり参考になる。小田原にいたときには安静時の心拍数は61平均。石垣にいるときは55。これは石垣にいると体が安定するというか。緩むのではないかと思う。よく寝る。あまり食べない。運動をする。体を冷やさない。体の整備は怠らない。そして病気にあれば、それが何から起きたのか、何を改善すべきなのかを考える。薬で対応してしまえば、大切な機会を失うことになる。そして仕方がないことは諦める。つまり死を受け入れる。




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