日本人の平均年齢はいくつですか。

   

落ちているのはデイゴの花びら 

日本は老齢化した。名実ともに年を取った。世界一の年寄である。世界の平均年齢は28.2歳だそうです。日本人の平均年齢が、世界一の45.9歳。長寿国であるとともに、世界一の年齢である。46歳が真ん中ということは、24歳上の70歳の私と22歳の人たちが折り返しにいるということになる。大雑把すぎるが、成長期の弱年層と、私以上の老人層が同じくらい存在する社会。労働人口の平均年齢となれば、60歳を超えたあたりになるのだろう。昔の会社では定年の年齢が平均というすさましさ。さらに年をとることだろう。これでは社会に活力が弱まるのも当然である。最近では70歳を超えても働ける人は働いて、生涯現役などと言われている。一見おだてられてよさそうだが、そんな呼びかけがされる社会はまともとは言えないだろう。簡単には隠居もさしてもらえないようだ。姥捨て山どころではない。爺働きの海原。私などは生涯ぶらぶら絵を描いての暮らしが願いだったから、早く隠居したい一心だった。鶏を飼っています。という、言い訳の利く立場になればと思っていたのだが、ついぞそういう楽隠居身分は来ないようだ。69になっても働いていないと悪いような気分である。

この老人社会で一番困るのが老人がのさばることだろう。老人はかならず既得権益の死守に回る。昔取った杵柄である。若者はこれからだが、年寄りは後しばらく無事に暮らせればいいという消極的な存在だ。何しろ世耕大臣によると原発輸出は失敗ではないのだそうだ。どこまでも失敗を認めない原子力村の原発利権。それはそれで年寄りには仕方がないとしても、これではあたらしい産業の芽が育たない。完全に再生エネルギー分野では後れを取ってしまった。トランジスターラジオを販売して歩いた総理大臣の戦後社会なら、こんなことはなかったことだろう。失敗しても、恥をかいても挑戦するような年寄りなどいないものだ。失敗は青年の特権であり、失敗こそ発明の母である。朝の連ドラの万福食品でもそうだと言っている。もう終わりだが、なかなか面白かった。一つの失敗が成功への道にになる。原発の失敗を認めることができれば、再生エネルギーに活路を見つけるほかなくなる。そこまで追い込まれなければ、あたらしい産業など生まれない。老人としては、まあまあ穏やかにやりましょうやということにならざる得ないのだ。

老人社会で次に困るのが教育である。年寄りっ子は一文安い。教育がもっともらしくなる。用心深い押し付け教育になる。改革的な精神を持つようなことは、遠ざけられる。今の時代を守るための道徳教育を正課にする。お年寄りを大切にといいたくなるのだろう。明治の教育勅語を持ち込もうという総理大臣が登場する非常事態である。守りに入るということだろう。老人社会は大体のことが了解済み社会になる。ハチャメチャな若者が育ちにくい社会。エジソンも、松下幸之助も現れにくい社会になっている。中国のような社会は、問題点から見ればとんでもない社会である。ところが若い活力ある。一度完全に衰退した社会がよみがえっている部分が見事に出てきている。中国の独裁体質は気に入らない。しかし、活力のある若返りは魅力がある。守りに入らない教育がよかったのだろう。紅衛兵のでたらめ教育の一方にやってやるぞの、活力ある教育が誕生していた。日本からでも学ぼうという意欲がすごかった。

老人社会が続くのは致し方ないことだが、せめて老人が若者の邪魔をしない社会であってほしい。老人は道を譲ろうではないか。少しの差なら、若者を優先しようではないか。老人は急ぐ必要はないし、先も短いのだ。老人は出しゃばらない。次の世代を育てることに専念しようではないか。まずは、我が身を引くことだ。



 

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