石垣島自衛隊基地反対行動
100名ほどの人が石垣島軍事基地反対の行動に参集した。そして、石垣市役所の周りをデモ行進をした。
石垣島では基地が強行着工された。理由は3月中に着工したという既成事実を作るということのようだ。これが4月に入ると環境アセスを行う必要が出てくるからと言われている。環境アセスを行えがここがカンムリワシの営巣地であり、水源地域であることが明確になるはずである。それを畏れて住民への十分な説明を行わず、強行着工をした。オモトダケ山麓の基地予定地はカンムリワシの営巣地である。石垣市の調査でも、2月時点でカンムリワシの生息が確認されている。私も1月の時点でカンムリワシ2羽を予定地で目撃している。そのことはこのブログでも報告した。
民主主義国家では、市長には市民の暮らしを守るために行動する義務がある。そして石垣島のカンムリワシを守る義務もある。そして市長の一番の義務はこの石垣島の民主主義を育てることである。石垣島に軍事基地が必要であると考えるか、あるいは基地はいらないと考えるかは石垣市民が決めることである。国の専権事項で、市に裁量権がないことは確かである。しかし、それと住民の生活を守り、市民の権利を守るという責任も市行政にはある。市は住民の生活や石垣島の環境保全、そして石垣島の農業や観光業の観点から、国に対して考えを述べる義務がある。石垣では軍事基地はいるのか、いらないかの住民投票14200余りの署名で要求した。にもかかわらず、石垣議会は住民投票をやらないという決定を下した。理由は明白である。自由民投票を行えば、軍事基地をいらないと考える市民が多数を占めるからである。それを畏れた、市長と、自民党、公明党の市会議員は、住民投票をやらないで基地を強行着工させてしまった。こうして民主主義を踏みにじったのである。
私は何度も書いたことだが、住民投票の結果基地を作った方が良いと考える住民が多ければ、それに従おうと考えている。間違った判断だとは思うが、住民の意思というものはそれほど重いと考えるからだ。基地推進派の唯一のよりどころが、軍事基地は国の専権事項であり、市議会や市長が口を挟めることではないという、言い逃れである。これは法律論から言っても間違った認識である。基地を必要とも、基地をいらないとも明確なことは口にしない市の政治など間違っている。国の専権事項であるから、知らぬ存ぜぬでは市長として失格である。軍事基地が必要と考えるのであれば、そう主張し住民投票に向かえばいいだけのことだ。軍事基地の設置の是非を判断するのは第一当事者である、地域の住民である。住民の権利を、市行政がおろそかにすることなど、いつまでもできるわけもない。
石垣島という、国境の島に軍事基地を作るということは、日本が中国と敵対するという意思を表明するということになる。これは石原慎太郎が、尖閣諸島に上陸し、尖閣諸島を東京都の所有にすると表明したことに始まっている。中国を刺激して、中国が軍事的威嚇をしてくることを誘発しようとしたのだ。尖閣諸島に軍事基地を作るということを主張していた。それは韓国が竹島を一方的に軍事要塞化したことと同じ行為である。中国との緊張を高め、国民の意識を軍国的な方向に引っ張ろうというやり方である。結果はアベ政権の登場である。確かに南沙諸島では中国は一方的に軍事基地建設の行動を行っている。こうした中国の軍事基地拡大は東アジアの緊張を高めるものとなっている。日本が同様に石垣島に軍事基地を作ることになれば、ますます東アジアの緊張が高まることになる。それは日本の軍備を強化し、明治憲法に先祖返りしたいと考えるアベ政権の思惑である。
石垣島に防人になれという話だ。沖縄に防人になれという話だ。石垣島に犠牲を強いるということだ。中国が石原氏やアベ政権の考えるような国であるなら、当然石垣島や沖縄の軍事基地を奇襲攻撃するだろう。そして、占領するということになる。実際に私が石垣に引っ越すと話した時には、石垣は中国が攻めてきて怖くないのかと、心配してくれた人が3人もいた。もう日本人の頭の中にはそうした悪い想定が埋め込まれ始めている。石垣が一度占領され、それを奪還するというのが自衛隊の軍事作戦である。捨て石作戦である。太平洋戦争末期の沖縄を犠牲にした日本軍と同じ発想である。石垣島が軍事基地を拒絶すれば、中国は石垣島を攻撃しない。なまじの軍隊では、初動の奇襲攻撃は防ぐことは難しいものだ。だから奪還作戦ということになる。石垣にとっては基地などない方がはるかに安全である。日本の安全保障を考えるとしたら、中国といかに敵対しない平和外交の方向を模索する以外に道はない。