自分という人間の研究
人間の研究は尽きるところがない。私のやっていることは自分のことばかりで、どうしようもない奴ともいえる。しかし、すべての宗教や学問は自分という人間の研究ともいえる。人間は社会的なものであるが、結局のところ生き方は個人に戻るところが面白い。「私の勝手でしょ。」「ダメでもいいじゃん。」というところが救いであると思ってやっている。ほかの人の生き方は、確かに参考にはなる。しかし、参考というようなものは命ギリギリのところではどうなのかと思う。こうすればよい絵が描けるというような話は、私絵画の場合役に立たない。ヘンな話だが、役に立たない範囲のことだから人の話はためになる。中川一政氏の本は大体読んだ。上手いことが書いてあっておもしろい。しかし、私の実用にはならない。当たり前のことだろう、違う人間の話だからだ。そういうことは田んぼをやってきたのでわかる。隣の田んぼの話は、あくまで隣の話だ。よく似た条件のことを参考にすると案外に失敗もする。一般論ならまだ良いのだが、個別の方法まで立ち入ると、参考になるはずのものが障害になる。
ピカソにとって良いことと、マチスにとって良いことはまるで違うわけだ。ボナールがいくら好きだからと言って、そのやり方は自分に至るためには障害になりかねない。様々刷り込んでしまったやり方を脱ぎ捨てて、自分のやり方に至るという事が、まずは至難の業だ。私の場合、長距離走をやっていたということもあり、君原選手がお手本である。なぜ走るのか。なぜ早く走れるのか。なぜ続けられるのか。君原選手は前の東京オリンピックの代表である。8位になった。銅メダルだった円谷選手の陰にいた存在だったが、中学生の私はむしろ伏兵としての君原選手にあこがれていた。それで陸上を始めた。メキシコオリンピックでは銀メダル。先日ボストンマラソンでは50年前の優勝者の招待レースで、73歳で74回目のマラソンを完走した。見事な生き方だ。私は生き方の参考にさせていただいている。世界のトップランナーで50年後にマラソンレースを完走できる選手は数少ないと思う。女子選手はなんとなく50年後でも走りそうに見えるがどうだろうか。勝ち負けを超えたところに走る最後の意味があるようだ。千日回峰行か。
スポーツ選手が参考になるのは姿が良く見えるからだと思う。今度の東京オリンピックのコースをもう一度走ってくれないものだろうか。健康な国づくりの象徴である。マラソンを完走するということが、誰にもわかるようにすごいことだからだ。これが絵であればほぼ姿形が見えない。私の絵を見てもう少し大きい絵を描いた方がいいのではと言ってくれた人がいた。意味が分からなかったので、時々思い出しては考えてみている。絵の大きさというのは、確かにある。しかし、私絵画においては大きさは問題ではないように思っていたのだが。手の内の楽な仕事ばかりしていたのでは、前進がないというようなことなのだろうか。絵を描いて君原選手であることはなかなか難しい。走ることと生きることとが良い結びつきにあるすがた。君原選手にとって生きることがあって、マラソンはその生き方のあらわれた姿なのだろう。私も生き方として絵を描く。それが画面に現れるように絵を描きたい。そういうことを君原選手の走る姿から学んだ。
あと長くとも30年である。生きるという事を走り切りたいと思う。自分という人間のマラソンを完走したい。このマラソンの完走は必ずできる。走り終わるところがゴールだからだ。誰にもかならず行き着けるゴール。それまで全力で描いて居いていたい。幸い、沿道には観衆もいくらかは居るようなのだ。今年の年賀状にどこのどなたかわからない方から、私は笹村さんの絵のファーンであるというものがあった。そういうものは生まれて初めてであったので、驚いてしまった。慣れないことではあるが、ほめてくれている人がいるという事は励まされる。嬉しくなってしまった。少しづつ、いわゆる絵とは違ってきたようである。私絵画というものである。実にわかりづらいものだろう。それでも、こんなやり方を良しとしてくれる人がいない訳でもない。世の中というのは案外に良いものである。確信を持って走り切ろうと思う。