再生エネルギーは不可能を前提の経団連会長
経団連会長の日立の中西氏は原子力発電について、国民的議論を展開すべきと発言した。いよいよ原子力発電を終わりにしたいという事かと思えば、全く逆であった。原子力発電再稼働や国内の原発新設に向けて「公開討論」を提案していたのだ。討論を行えば再稼働を国民が受け入れると思い込んで、発言を続けている。その理由はなんと再生エネルギーは日本では不可能だから、原子力発電をどんどん進めなければならないという話だった。再生エネルギーを不可能と決めつけるような人間が経団連の会長ではもう日本はダメだ。原子力発電はダメだから、日立も世界から引き上げているのではないのか。海外展開がだめなら、国内の原子力発電すすめる為に国民全体を説得しようという姿が、日本の企業人の哀れな姿である。もう日本の企業人の頭のなかは欲得で腐りかかっているようだ。再生エネルギー以外に日本の道はないというのが私の見方である。ところが、そういう発想の転換が既得権益者としては無理になっているのだ。原子力発電にしがみ付いて居れば、当面はやり過ごせる。
再生エネルギーがなぜ日本ではだめなのか。その理由を語るのが先であろう。それが企業人の役割である。原子力がやりたいから、再生エネルギーをダメだと理由なく決めつけているに過ぎない。日本の企業にはすでに新しい再生エネルギーを開発する能力がないというのが理由なのではないかと思っている。日本が再生エネルギーをだめだと思い、手を打てないでいることは事実である。一年一年世界の再生エネルギーの開発の水準から遅れ始めている。確かに中国は原発推進である。と同時に再生エネルギー部門でも新しい方向性を積極的に模索している。新しいものを開拓して行こうという、思いの強さが違う。相変らず中国の負の面だけを見ている報道が多いが。もう考えても無理だから原子力でいいじゃないかと、過去の利権構造から出られない人間が、経団連の会長なのだ。国策事業であった、日本の原子炉輸出は失敗に終わろうとしているのだ。失敗を失敗として認めることができない人間につぎの時代を考えることなど出来るわけがない。再生エネルギーは日立には無理だ。原子炉に失敗した日立に、再生エネルギーどころでないのは当然だ。何故こんな失敗をした人間が経団連の会長なのだろう。こういうところに日本のダメさ加減が現れている。
再生エネルギーだけが日本の可能性だ。日本列島という地殻変動の激しい地質の上にある国では原子力発電は常に不安なものだ。それこそこの危険を国民的議論にしなくてはならない。この状況の中経団連会長がどのように話せば、原子力が安全神話を信じ込ませられるかというだけの議論を考えている。そこまで日本人は愚かではない。さすがに経団連の中西会長ほど愚かではない。議論をすればするほど、再生エネルギーに日本の未来を託すほかないという事が、見えてくるはずだ。もちろん中西氏は出身会社に対する利益誘導の発言をしている底なしの愚か者だ。日立は原子力政策で大失敗をした。アメリカで大損をした。そして利益を上げていた半導体部門を売り払った。もうよたよたなのではないか。何故経団連会長などやっていられるのだろうか。そして、唯一しがみ付けるのが原子炉の再稼働という事だ。これを叫んでいれば国から補助金が貰える。こんな日立の視点からの議論に何故国民が巻き込まれなければならないのか。すべては原子力国策アベノミクスの失敗という事だ。
日本という船は現在、暴風雨の中に向っている。暴風は近づいているのに、進路が定まらない。アメリカの一国主義に翻弄されているだけだ。世界の対立の深まる中、日本の方角というものを持てずに、ただアメリカの舟にしがみ付こうとしている。日本という船にはどうも動力がないらしい。自らのエネルギーで方向を定めて漕ぎ出そうという事が出来ない状況に陥った。その結果曳航してもらうことだけを探している。前にも勧めないし、方向も変えられない。これではどんな大きな舟でも乗っているものに安心感はない。小さな船でも良いから、その船が自分で動く動力が必要だ。補選でも、手漕ぎでもいい。原子力はダメだ。みんなで同じ方角に向って漕げるようにしてもらわなくてはならない。そのためには原子力ではだめなのだ。そのことに気づく必要がある。