舟原溜池の秋
石垣に行っても美しい久野里地里山協議会の活動は続けるつもりでいる。この会は住所に関係なく参加できることになっている。動ける間は参加させてもらいたい。久野でお世話になった方々との良い関係を続けたいと思っている。欠ノ上田んぼも里地里山協議会との関連がある。一か所3畝だけ協議会として神奈川県と協定を結んだ田んぼがある。この田んぼの管理だけは、動ける間は自分が続けたいと思っている。この田んぼの地主さんが小林栄一さんで私を久野に誘ってくれた人だ。もう亡くなられたのだが、縁を忘れたくない。もう一つある。舟原ため池の活動も、まだ軌道に乗っていない、ため池保全活動を里地里山協議会の役割にお願いした、私の責任がある。会として小田原市と契約を結んでいる。この2つは出来る限り継続したいと考えている。田んぼの方は水管理までは出来ないとしても、田植えや稲刈りに来るぐらいは、昔の藤垈部落では普通にあったことだ。盆暮れ正月は奉公人の帰省だが、田んぼの手伝いで帰省するという人もいた。
ため池に秋がいつまでも来ないと思っていたのだが、さすがにここにきて秋らしくなってきた。あまりきれい名も色づきではないが、草はさすがに枯れてきた。冬の間は草刈りの必要がないのでありがたい。突然、水が来なくなった。昨年は冬の間もいくらかは水が来ていたのだが、今年は全く沢の水が途切れた。こういう年もあるのか、あるいは沢のどこかで何かが起きたのか。まだ調べてはいないが、不安になる。こういう年にはたぶん久野川から水を回したはずだ。今でも水を回すことは不可能ではないが、水の問題は歴史的なこともありそう簡単ではない。これを解決出来るのは役所の役割だろう。水の少ない内に直さなければいけない箇所がある。田中さんは12月やると言われていたが、私が小田原にいる間だと良いのだが。
美しい久野里地里山協議会は今年農林水産大臣賞を受賞した。地域の農業者の村づくりが評価された。村づくりの事例として、神奈川県から選ばれるのは久しぶりのことらしい。あまりよく内容は分かっていないのだが、こうした賞を受賞したことから、新しい会員が増えて欲しいものだと思っている。こうした機会を利用しての広報的役割ももう少し行政が担うべきではないか。市の広報にうまく乗せてもらいたいものだ。会員の多くは久野の農業者として中心になっている方だ。極めて忙しい。何をするにも、その忙しい人が無理をして出て、活動することになっている。申し訳なくてならない。確かに農業者の人は実践力が高い。市民ボランティアと呼ばれるような人では、なかなか代替えが出来ない。しかし、将来の活動を考えれば、新しい人の参加は不可欠なことになる。
カキツバタが楽しみである。何とか根付いているようだ。来春は花が来るのだろうか。一面がカキツバタになれば、人を呼ぶことだろう。人が来るようになれば、ため池は管理もされてゆく。カキツバタを植えることを批判して、里地里山を止めた人がいた。ビオトープの方が良いというのだ。ビオトープにしたら、外来植物の荒れ地になってしまったではないか。地球博物館の研究員もカキツバタを植えることを、今無い植物を持ち込むのは良くないと言われていた。ではどうすれば、溜池の荒れ地化を防げるというのであろうか。小田原市役所はため池が小田原市の所有地であるという意識はあるのだろうか。自分の土地は自分で管理するのが当たり前のことだ。耕作放棄農地を良くないと、呼びかけていながら、小田原市の土地を耕作放棄しているようなものではないか。ちゃんとやってくれなければ、とお願いしたら、そんな市有地はいくらでもあると、市の方がうそぶいていた。別段草刈りの手伝いなど来なくてよい。行政でなければできないことを探してやる。この姿勢がなければ、市民協働等絵に描いた餅になる。