終戦の日と靖国神社
戦争に敗れた日から72年が経った。やはり昨日は父がどんな思いで戦地にいたのかを思い出していた。父は8年間も中国の最前線で、下級の兵士として従軍した。長沙というところの自動車部隊というところに長くいたと話していた。自動車の運転のできない兵隊だったのだが、出来ない自動車の整備が担当で困ったらしい。長く兵隊でいると、めったに死ななくなる。死ぬのは新しく来た兵隊だと話していた。怖くてわざわざ弾の来るところに飛び出してゆくと話していた。父は主に食料の調達をしていたらしい。そういうことは得意だったと思われる。父はなかなかの商売人だったから、強奪するというより、上手く現地の人に入り込み食糧の確保をしていたらしい。中国語が普通に話せる人だった。中国人の友達も、尊敬する人もたくさんいたようだ。兵隊が中国人と友達になるというのもおかしなことだが、そういう不思議なところのある人だった。
終戦の日に靖国神社に閣僚の誰かが参拝をしていた。今年は稲田氏が防衛大臣を辞任していたので、何とか閣僚の参拝は無しになった。靖国神社に参拝する国会議員の会という異様なものがある。これは、あの韓国の従軍慰安婦像設置団体の裏返しのことになる。そのことを国会議員のご本人たちは自覚しているのかどうか。従軍慰安婦像を設置すれば、韓国では評判が上がるのだろう。日本でもまだいくらか靖国神社に参拝すると評判が上がるのだろう。従軍慰安婦像は良くないと思う。あのやり方は良い結果にはならない。韓国人というものに対する、不愉快な気持ちが溜まってゆく。そういう韓国人だけではないと思うが、残念なことだと思う。そして、靖国神社に行くのは一部の特殊な日本人だけだと私は言いたい。日本では困ったことに総理大臣が実は行きたい人なのだ。靖国神社の問題を考えると、様々な屁理屈が述べ立てられる。従軍慰安婦像でも、様々な屁理屈が並べ立てられる。確かに戦死された方々に対して、日本人全員が哀悼の意を持っている。それをわだかまりなく行うには、国立戦没者霊園が良いのだ。従軍慰安婦に対して日本人は謝罪しなければならない。賠償もしなければならない。しかし、大使館前に設置するのは許されない。
どちらにも言い分はある。歴史認識の問題というが、未来志向という視点を外してはならない。靖国神社には未来志向がない。靖国神社は明治帝国主義の亡霊の住処となっている。日本人が従軍慰安婦像に不愉快になるのと同じくらい、朝鮮中国の人たちは靖国神社が不愉快なのだ。靖国神社にぞろぞろと参拝する、国会議員を見ると何とも許せない気持ちになるのだろう。植民地にして、侵略戦争を行い、いまさら神としてまつるのかと我慢ならないのだと思う。相手の気持ちに寄り添う事だけが解決の道である。安倍総理をはじめ、靖国神社に参拝する国会議員の人たちは、近隣諸国の人の感じる不愉快な思いを考えてみる必要がある。日本を帝国主義に駆り立て、侵略戦争まで行わせた最大の原因は明治政府の富国強兵である。明治日本には大きな問題点があったのだ。確かに日本がいち早く近代化を果たしたことは見事なことであった。そのことが日本人を脱亜入欧という形で、アジアを軽視する思いを育ててしまった。遅れたアジアを日本が盟主となり近代化する。こういう気持ちで頑張ってしまった。アジア諸国を遅れたという不遜な評価をするようになってしまった。
日本という国はすべてを中国朝鮮から学んだ国と言ってもよい。稲作も、文字も、美術も、国づくりも。日本の素晴らしさは近隣諸国から学んだものが基盤となっている。それを一時期忘れていたのだ。靖国神社の存在が、中国、朝鮮で従軍慰安婦像と同じ意味になっている現実を認識しなければならない。靖国問題の解決なしに近隣諸国との友好関係を結ぶことは出来ない。それは明治以来の日本人のアジア諸国に対する蔑視的意識の払しょくという事でもある。年々薄れてきている。だから、多くの日本人にはすでに、なんでそんなに靖国神社に行きたいのかと不思議なことになっている。あの稲田氏をはじめとする国会議員の姿にアナクロな印象の方が強くなっている。もう一息である。そういうことを8月15日に思った。