ギャンブル依存症
ギャンブル依存症対策法が政府から提案されている。しかし、結局今回の国会でも見送られた。カジノ法案を作った時の言い訳のようなものなのだろう、結局忘れて終わりなのではないのか。ギャンブルは病気と考えなくてはならない。ギャンブルは人間が克服していくべき病なのだ。公共事業のお金が足りないからギャンブルを奨励するような国は幸せな国とは言えない。カジノもアベノミクスの一環という事なのだろう。年金資金まで株に投資してしまうのだから、借金嫌いには不安で仕方がない。不労所得を政府が奨励するようではロクな国ではない。まじめに勤勉に働くものが、普通に暮らせる国でいいではないか。まあ、政治家の暮らしはギャンブル性が高い。ジャパニーズドリームがギャンブルの結果では情けない国だ。カジノ法ができるときにも書いたが、すでにパチンコというギャンブル場が住宅地にまで進出している。日本は世界でも有数のギャンブル大国なのだ。
大学の運動部に所属する学生の約4割がパチンコ、競馬、サッカーくじなどのギャンブルを行った経験があり、こうした学生は協調性が高い傾向にあるとの調査結果を、法政大の荒井弘和准教授(スポーツ心理学)らが4日までにまとめた。ギャンブルにのめり込む人がいる。私の性格はまさにそれである。だからギャンブルはやらない。やれば必ずのめり込んで抜けられなくなると知っているから、賭けごとはやらない。怖いからである。子供のギャンブルと言ってもいい、メンコとかビー玉とか、ベーゴマにははまり込んだ。もう夜も眠らず、手をすり減らしてベイゴマづくりをした。最強のベーゴマを作り出した。設計図から作り、ベアリングの硬い鉄の玉から削り出した。私のベーゴマより強いベイゴマは存在しなかった。あらゆる強敵に挑戦して勝ちまくり、近郷では知らないもののないベイゴマ。ついには不良に脅かされて取り上げられた。メンコでもどうやって強いめんこを作るかで、蝋に着け混んだり、ローラーをかけたり、様々工夫をした。当然、技術や戦略も磨いた。そして将棋にはまった。小学校の授業中に周りの人が駒に見たてて、詰め将棋をしていた。
要するにひどい勝負事依存症の子供だった。もし自分がギャンブルにはまれば、抜けられないだろうと分かっていたので、恐ろしくて近づかなかった。将棋でも賭けなければやれないという人も居たが、そういう人とはやらないことにしていた。フランスにいた時にはピンボールにはまった。面白くもないピンボールにはまってやらずにはいられないのだ。間違いなく病気だ。あれでも実はテクニックがあって、打ち出す左右のピンで球を抛り合って的に命中させるなどという技術まで、身に着けた。情けないのは分かっているのだが、やらないと気持ちが収まらない。やれば何とか治まるのだが、翌日はまたやらないと居られない。何にでもはまり込む性格である。はまり込んで抜けられない性格である。はまって抜けられないのだ。はまるものというのは大体にろくでもないことだ。勝負事である。人間には他人との勝ち負けに惹きつけられて抜けられなくなる弱いところがある。
自分のなかなにそういう弱点があることが分かっているので、私ははまり込む前に避けてきた。ところがカジノという新しい罠を政府が作った。そして、依存症になってしまった人の対策をしてくれるというのだ。何か馬鹿げていないだろうか。お金が足りないのであれば、足りないなりの暮らしをすることだ。普通に働いていれば、なんとか暮らしてはいける。何も一獲千金を期待する必要はない。賭け事は良くないことだという倫理を社会は明確にすべきだ。賭け事をすべて排除する必要はない。賭け事は大っぴらにやるようなものではない。どうしてやりたい人は密やかにやってもらえばいい。政府が大いにやるべきものと公認するという事が良くないのだ。公営ギャンブルを廃止し、賭博場の設置可能地域の限定を行う。それが普通の国の姿だ。