アベ政権の深い反省
アベ政権は都議選で自民党23議席となり、「ゆるみと驕り」を深い反省をするそうだ。是非ともそうしてもらいたいのだが、反省の意味が普通とは違うのだろう。まずは反省をした振り。安倍氏の秋葉原演説で帰れコールが起きた。それは想定外だったから、素の安倍晋三が出た。「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と大声を出してしまった。「こんな人」という言葉にはいかにも安倍氏の素性を感じる。自分がそこには居ない。お坊ちゃんが大衆に接した際の過敏な反応だ。帰れコールぐらいで素を見せるようでは役者は失格である。演出抜きだとこうなると演出家は舌打ちをしたことだろう。それは小池劇場の客演だったために、いつも主役だけやっている大根にはこなしがたい場面だろう。いつもの安倍劇場とは場違いだった。脚本にない場面が起こり、つたないアドリブにならざる得なかった。
深い反省として選挙に勝てなかった敗因分析を意味しているのだろう。例えば、なぜ豊田議員の狂気の罵倒があのタイミングで出てくるのだろうか。これで10人は落選。金属探知機で秘書にはボイスレコーダーは持たせないようにしなければならないという反省。スマホの扱いは要注意という反省。加計からの闇献金があの時に何処から出たのだろう。都連会長が加計学園闇献金疑惑では10人は落ちる。その原因を今探らせていることだろう。前文部次官前川氏の風俗店問題と同じだ。嫌な形で選挙が動かされる。劇場型同士の戦いはこうなる。他所の劇場には汚い手段をさせないための手立てを、反省するという事になる。安倍氏は自分の劇場だとうまく演ずる。自民党後藤田正純副幹事長は3日、「私の街頭演説が、安倍批判をしたと党幹部に伝わり、クレームがきた」「このような密告、引き締め、礼賛、おかしな管理をしている今の自民党執行部。」と書いている。こんなこと、小田原の自民党議員には到底言えないだろう。まあ礼賛以外しゃべらないから大丈夫か。
もし本当に反省をするというのであれば、政治の世界を議論のできる場にすることだろう。自民党議員にも様々主張があるはずだ。自民党議員は本音を語れないでいるのではなかろうか。安倍氏が加憲派になるようなおかしな歪みが生じる。ご都合主義で憲法をいじくられたのではたまらない。国会を徹底した議論の場にしてもらいたい。それが民主主義の原点である。報道批判はとんでもないことだ。報道の批判を封じることは、民主主義の芽を摘むことになる。どれほど政権を批判する報道であるとしても、それを育ててなければよい民主主義社会は生まれない。自分と違う意見にこそ耳を傾けるのが民主主義政治であろう。結論は常に、なん10%かの反対意見を踏みにじった上にある。全員一致するという事の方が気味が悪い。現在たまたま、自民党が圧倒的多数派である。だから自分たちの考えだけで政治を進めて良いと考えているところが、本当は反省すべき点だ。
受け皿があれば、アベ政権では誰も我慢はしないということだけは分かった。アベ政権のやり方に満足している訳ではない。不満はあるのだ。ソフト独裁に全員が巻き込まれていた訳ではなかった。受け皿内がないので、まだましかもしれない安倍政権を支持していただけのようだ。その受け皿に今回、小池新党が名乗り出た。維新と同じだ。本質は保守だ。憲法改定方向だ。共産党は今回支持はされて、19議席ともう少しで自民党に迫る勢いだった。しかし、そのほかの反自民勢力は、小池劇場に存在感を失くした。結局小池も、安倍も大差はない。この前までは同じ自民党だ。内部分裂のようなものだ。日本人の保守化方向は動かない。アベ政権に物も言えない自民党内の反対勢力が、離党しアベ攻撃をしたのだ。名古屋でも大阪でも、地方議会から反旗が上がる。小選挙区制度では、内部での批判は生まれない仕組みだ。選挙制度を変えることが、反省の表現ではないだろうか。まあ、口先だけの反省で、何も行動などとらないだろうとは思うが。