走り穂の出た田んぼ

   

8月5日の写真、稲の色むらが見える。葉の展開の差だ。

走り穂の最初の1本が10番田んぼの一番下に出た。8月6日の早朝である。走り穂が出ると、どうかもう少し待ってくれと、つい思ってしまう。稲株全体がもっと充実をしてから、穂に出て欲しいと願う。1本植が20本の穂をつけるという事は、まだ分げつして成育の遅れている株があるという事になりがちである。おくれた株からは大きい穂は出来ない。全体が充実してから穂が出始めてくれればと願う。今年は昨年より5日ほど走り穂が遅い。良い傾向ではないかと期待している。株間を29センチに広げ、開帳型に生育した結果ではないか。早く穂が出るというのは、株の生育にばらつきが大きい状態と言えるのではないか。穂揃いまでばらつくという事になる。

走り穂 :最初に穂が出たのを発見した日。ーー例年サトジマンでは8月初めとなる。

出穂期 :全茎数の40~50%が出穂した日。ーー半分穂が出た様子を記憶しておく。例年8月20日前後これは私の誕生日前日であり、私の名前は出であるので記憶した。

穂揃期 :全茎数の80~90%が出穂した日。ーーこれは遅れ分げつの遅れ穂をのぞいてという感じで良い。8月25日前後

苗床だった3番田んぼ上の色の黄色い田んぼがお隣の慣行農法の田んぼ。

稲刈りが10月8,9,10あたりの予定。いよいよ、あと2ヵ月の田んぼである。昨年は8月後半がほとんど日照のないという天候のせいで9月に病気が出てしまった。今年はそうならないで欲しいと祈る気持ちである。稲の状態は畝取りした一昨年並みであるが、何しろ株数が少ないから、収量はまだわからない。株の様子では8俵行くかなとみているが、どうだろうか。昨年は病気が出て、7,7俵であった。株間を29センチに広げた効果は確かに出ている。何しろ作業が楽になった。特に田植えは楽だった。コロガシで株を傷める確率は下がった。株の姿が開帳型になった。来年を考えると、苗作りもだいぶ楽になる。だから、収量が同じであるなら、29センチで行きたいと考えている。但し草はいくらかで安くなった気がする。分げつを期待して、浅水にした為もある。

29センチ角植えにした一番の要因は、土づくりが進んできたと考えたからである。土づくりは時間がかかる。ここは江戸時代田んぼであったところだ。それを50年ほど前から、みかん畑にしていた。荒れ地や、植木置き場もあった。それを、元気回復事業で田んぼに戻し、農の会が管理を引き受けたのが7年前。それから土づくりに専念してここまで来た。土づくりと言ってもそれ自体が手探りの末、5年目についに畝取りを達成した。分からないなり、藁をたい肥化して戻す。緑肥の栽培を行う。7年間土づくりをしてきた。そろそろ29センチ角でも大丈夫な土になった来たかと考え、決断した。

ここの左端に走り穂が1本だけあった。全体で間違いなくこの1本だけである。あとから捕植した株である。走り穂が出るのは決していいことではない。捕植の遅れた株が何らかの原因で、一本早く穂を出したように見える。いよいよ穂が出て、花が咲く時期は水を沢山欲しがる時期である。それでも土を固めないと倒伏になる。ここに矛盾した心境が産まれる。必ず1度や2度豪雨や台風が来るものだ。土壌がグズグズではすぐに倒れる。ここで一度水を止めて土を固めて、また水を入れることにしたいと思う。毎日迷いながらも、決断しなくてはならない。

 - 8月, 水管理, 稲作, 農法(稲作)