集団的自衛権の解釈変更

   

平戸 10号 同じ場所でほぼ同じ絵を3枚描いている。違う描き方である。何故こうなるのだろうか。そう思いながら、三枚を並べてみている。

安倍首相が国会冒頭の演説で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認について「対応を検討する」と発言した。憲法の示す平和国家と自民党の主張する積極的平和主義の大いなる違いである。憲法が変えられないなら、解釈の変更をしようということなのだろう。安倍氏がダボス会議にに於いて、日中関係を第一次大戦前の、独英の関係に例えたと世界に報道がされた。本意がどこにあったのかは別にして、世界中が安倍氏を危険な国家主義者と見たがっているようだ。そして、日中の緊張の原因を日本に見ようとしている人たちの方が多い。敗戦国日本が、靖国にこだわってゆく意味が、世界から奇異に見られているのだ。ダボス会議ではアベノミックスの成果を宣伝し、法人税の減額まで、勝手に約束している。しかし、世界は安倍氏を経済の人とは見ていない。その軍国主義の本質を見極めたいと考えているのだ。当然のことで、経済がよたよたなのは、ヨーロッパも同様であり、財政再建と経済の再生が上手く行かないのは、宣伝を聞いても始まらない。

ダボス会議以降の為替や株価の変動は安倍氏の宣伝の結果のようなものだ。日本経済の再生は、実質が伴わない限り、本当のところは相手にされない。安倍政権の景気対策によれば、景気浮上の為に、企業優遇が一段と進む。格差の拡大は間違いなく深刻化する。弱者を切り捨てても、世界の経済競争に勝つ為には強いものに力を集中する。弱いものを救済している余裕はないというのが、本音である。そして強いものが世界の経済で優位に立てば、その恩恵がその内、日本の弱者にも及んでくるかもしれないという、幻想をまき散らす。しかし、そういうことがないのは、韓国のここ10年の変化の実態を見れば分る。日本企業が良くなるということは、確かに悪いことのはずはない。しかし、良くなれば良くなるほど、日本国内に於ける格差は広がる。グローバル化すればするほど、大半の日本国民の利益と企業利益がそう反する。結果グローバル企業と、その他の人間とは、別世界のものになってゆく。

競争の原理には、勝者と敗者が存在する。今の競争の仕方であれば、日本にこだわれば、企業は世界競争に勝利できない。農業企業が合理的な農業を行い競争力を付ければ、当然、ベトナムで生産して日本に輸出するようになる。安い労働力、適合する自然環境、安い土地や、安い水。こういうところを求めて日本から離れてゆくだろう。それを支える構造が、集団的自衛権と言っている軍事力による海外での抑止力である。競争に勝つということはそういうことだろう。そして、強い日本を守るためには、とげとげした対立関係の中を行かなければならない。強いものは嫌われるのだから、当然武器で身を守ることになる。どうもこういう緊張をわざわざ高めているのが、安倍政権に思われる。はっきりとした軍国主義を主張し、核武装にまで言及する、田母神氏と石原氏は進み始めている。安倍政権は集団的自衛権ではみんなの党や石原維新の会やとは連携するつもりのようだ。

強い日本を作るはずの懸命の努力が、一部に富裕層が生まれ、暮らしの失われた日本になりかねない。守るべきものは何かを見失ってはならない。日本人に大切なことは、瑞穂の国であることだ。この素晴らしい自然環境の国土にすべてがある。この日本列島を大切にしてゆくことが何よりである。この列島に永続性のある循環する暮らしを打ち立てることだ。その意味からも、日本国憲法の示す平和主義を世界に示すことだ。その素晴らしい見本が、江戸時代にある。科学の進歩の恩恵を十分に生かせば、日本列島に於いて、世界の水準に負けない豊かな暮らしが作り出せる。必ずしも世界の競争に勝たないとしても、十分な暮らしを送ることが出来る。アメリカとの集団的自衛権の拡大は、危険極まりない。アメリカの戦争に巻き込まれる恐れが増大する。実際に自衛隊が、世界のどこに於いても、軍事行動を行うことになる。明らかに憲法会社の範囲ではない。

 - Peace Cafe