「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」」(中学2年 女子)これほどインパクトのある、標語はめったにない。100年後これを読んだ人はどう感じるのだろうか。私には100回逃げて101回目幸運にも助かった人が発する言葉に聞こえる。人にこの事だけは伝えたいという感触がある。まさに言葉の力である。以前、糸井重里氏が、警察の標語を読んで、本当のところでは事故を減らしたいと思っていないとしか思えないと言っていた。確かに世の中にあるだいたいの標語より、コマーシャルの言葉の方が耳に残る。しかしこの中学生の言葉には、どうしても伝えたいと言う、心がこもっている。もう、多くの人は、どうせ逃げようもないから、津波が来たときは仕方が無いと諦めている。こんな気持ちに成り始めている。
いま、津波を記録する活動が様々な形である。津波の起きた海岸に、津波石と言うものが古くからある。次の時代の人が津波を忘れないで、安全に暮らしてくれることを願ってのことだ。今回の東北の大津波が来て見て、昔のまさかと言うような津波石の置かれた高さが、実感を伴って迫ってくる。今回の大津波でも津波を記録する500の石を置いて、後世に伝えようと言う活動が起きている。津波で無くなられた方々への鎮魂の思いと言うものも、石に託したいということだろう。全優石と言う組織が、主体に成って動き出している。全優石津波記憶プロジェクトと言うものである。
2011年3月11日
未曾有の被害をもたらした東日本大震災。
津波によって多くの命が失われた。
大丈夫だと思って逃げずに津波にのまれた人。
家族を捜しに行ったり、また助けに行って犠牲になった人。
逃げる方法を間違えて津波にのまれた人。
防波堤があるからと安心して逃げなかった人。
忘れてはならない18,915の命(5/2現在)
我々は二度とこのような犠牲が起こらないことを心から願う。
亡くなられた方々の魂を慰め、事実と教訓を石に刻み後世に伝えていくことを我々の使命と考える。
1000年先まで・・・
伝えると言うことはとても困難なことだ。人間は忘れる。忘れるから生きて行ける。それでも、忘れてはならないことはある。「ここまで津波が来たんだよ。」こういうことは忘れてはならないことだろう。暮らしの利便性と言う事もある。高台移転と言う事も必要だろうが、なかなか進まない気持ちもわかる。私自身土砂災害危険地域に暮らしている。しかし、裏山の土砂崩れに対し、どうしたらいいのかとは思うが、実際の手立ては進められないままでいる。家の裏に重機が入るには、家を壊さなければ入れない。家に入る道路自体が、2トン車も入れない。どうやって工事をすればいいのだろう。そう思うと動き出す気力が出ない。何となく、大丈夫の方を気持ちが選んでいる。それでも、こんな標語にぶち当たると、何とかしなければならないという気持ちが、また湧いてきた。