将棋の羽生が大山名人を抜く
将棋界には天才棋士羽生さんがいる。この人の将棋を見ていると、天才の思考というもののすごさを目の当たりにする。昭和の天才大山名人をしのぐ、81期のタイトル確保を41歳で果たした。このタイトル戦は、注目に値するものであった。挑戦者に中村大地さんを迎えてのことだった。中村大地氏は今若手の中で最も注目に値する人だ。将棋の思いっきりが良く、昨年度の勝率は0.8511という歴代2位を記録している。今年度相変わらずの好成績が続いている。この中村をどう迎え撃つか、棋聖戦に注目していた。棋聖戦の前に羽生は名人戦であっさり、森内名人に敗れていた。好調とはいえないような印象があった。しかし、棋聖戦の戦いぶりは、実に面白いものだった。まず、相手の懐に入る。特に棋聖タイトルを決めた第3局は何と中村が勝っている棋譜に入って行く。中村は勝っている手順だから自信を持って進めたことだろう。ここからが面白かった。
羽生41手目8八に歩を打つ。この手順なら、中村自身は有望と考えていただろう。そして、確かに、中村48手目6七に角を打つ込み、王手。この手順で勝てると一度は考えていたに違いない。しかし、このきわどい王がすりぬけ捕まらない。なにも、8八に歩を打たない手段もあるだろうに。あえてこの危うい切り合いを選択する。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。昔、羽生マジックと言われたものである。相手に勝てると思わせることで相手のすきを作り出す。最近マジックが渡部竜王や森内名人には、効果を失っている。彼らはそのマジックを十分に研究し尽くしている。しかし、最強の新人中村の登場で、羽生将棋が再生したように見えた。天才は、新しい才能と戦う事でさらに進化しているようだ。いつか渡辺竜王に竜王戦で勝つ日が来るのだろうか。
実は、将棋はコンピューターに勝てなくなり掛っている。もう一,二年で、プロ棋士といえども勝てなくなる。最初にその日が近いことを予言したのも羽生氏である。第一人者がそう宣言して、その中で自分の将棋を作り上げてきたともいえる。このあたりの流れが興味深い。先日コンピューター将棋選手権があり、GPS将棋が優勝した。この将棋を5局ほど見たが、全く面白くない。強いことは強いが、何故か面白くない。勝つことだけなのだ。例えば、当たり前にやれば、相手の知能の筋に入り込むから、わざとあり得ない手を打つ。そうすれば、あいてにはない考えだから間違って、さらに悪い手を打つだろうという作戦を立てたりする。こんなことをして勝ったとしても見ているものが、感動する訳がない。勝てばいいだけならただゲームで、文化とまでは言えない。しかし、コンピューターの棋譜には、羽生氏にもたぶん思いつかないような、奇想天外な素晴らしい手が浮かんだりもしている。
人間がこだわりがちな、勝負の美学のような精神論がまるで意味をなさない。美学の為に見落としていた手順。勝負といものがプロ化して、美学を売り物にしていたのかとも思う。機械が人間を凌駕する中で、その人間の才能を生かしかた。人間ならではの魅力と、一体何なのかを、その可能性を探る。そのことは人間の存在にどんな特徴があるのか、能力とは何か。改めて考えさせられることになる手順。オリンピックも近い、ここには全世界から、スポーツの天才たちが、集結して競う。人間の努力とか。限界を越えたような能力に感動するのだろう。ゲームの中に何が潜んでいるのか。人間は何故ゲームに引き込まれてしまうのか。テレビゲームというものをしたことはないが、文化と言えるようなものは芽生えてきているのだろうか。
昨日の自給作業:大豆畑の整備5時間 大豆の土中緑化差し苗3時間 累計時間:9時間