制御不能社会の恐怖
鈴木幸一IIJ社長のエッセイのようなものが、日経新聞に乗っていた。インターネット関連の企業の社長のようだ。この人の年頭の感想が、世界が制御不能に陥っているという話である。殆ど私のようなアウトサイダーと同じ現状分析である。どちらかと言えば、個人的には少数派と言う意識で生きてきたが、今や企業人まで似たような認識に至ったのかと、驚きである。もちろん企業人であるから、社会の制御不能の姿を分かりやすく整理している。なるほど頭の出来が違う。しかし、結論は人口が膨張している世界の制御不能の姿に到っている。これもまた同様な結論である。違いは、この制御不能な現状分析から、ITビジネスの会社を経営する人が鈴木幸一氏であり、自給農業を進める認識に至るのが私である。それほど考えが似ている。全く違うところに生きているにしても。今の社会がどういう状況であるかの分析は、似たような所に到る。政治家はどうなのだろう。まるで能天気に見えるが、胸の内は同じなのであろうか。
野田首相の民主党大会の挨拶、始まった国会での所信演説は、党員の無関心度に比べて、えらく力が入っていた。この人は演説が好きだということが分かる。なかなか上手い言い回しをする。「民主党が崖っぷちなのではなく、国民と日本国が崖っぷちだ。」と叫んでいた。「政局ではなく、大局を見なければならない。」その通りなのだが、総理大臣に言われたくない。「次の選挙の為ではなく、日本の為に頑張ろう。」こんな状況にした第一責任者は、「お前だろう。」と思わず声が出てしまった。確かに世界は制御不能であり、「ぼくちゃん知らないもんね。」こんな他人事のオコチャマ政治が、松下政経塾の感覚のようだ。衆議院解散をちらつかせた姿など、自分は関係ない意識の表れそのものである。今総選挙をすれば、間違いなく民主党は崩壊する。主張するなら、「定数削減ではなく、歳費の削減である。」変革の掛け声は消え失せ、たちまち保身だけになった民主党。自民党の方は、民主党批判の前にマニュフェストで消費税10%だったのだから、それを守れ。
鈴木氏は「グローバル化した経済が、制御不能に陥っている。」「経済復興から、福祉国家への道が崩れた。」「甘やかされた人々による国家運営の危機。」「アメリカの物質至上主義の崩壊。」「インターネットがグローバル化を加速し、過去にない世界を作り出した。」と上げている。要するに現実を直視しなければならない。原発事故を収束宣言しても、何ら状況は変わらない。問題はより深刻化しながら、放射能汚染は蔓延してきている。採石が持ち出されていたなど、まさかのまさかである。この程度がコントロールできない政府である。制御不能はグローバルなことどころではない。稲藁からの牛肉汚染、杜撰な事前測定からの汚染米の流通。「原子力災害対策本部」が議事録を作っていない。要するに制御不能は人間の劣化に現われている。唖然とするような事故や事件。そして政治の制御不能。
人間が立ち直るためには、地道な暮らしである。当たり前の日々である。自然に接しその摂理を知ることで、普通の感性を取り戻す必要がある。後数年すると、あの頃はまだ良かったと今を振り返ることになると予測している。世界の経済が一体化して、競争が激化し、国家資本主義と言えるような韓国や中国が登場している。日本はこの競争に勝てないだろう。勝者であるはずの、すべてを経済競争に当てる国も、勝利は一時のものであり、さらに大きな崩壊を迎えると考えざる得ない。日本が向かうべき方角は、ソフトランディング地点の発見である。これは死んだ窪川真氏から、杉並の中学校の警備員室で聞いた話の受け売り。と言うことは、もう40年も同じことを考えてきたことになる。希望はある。新しい人たちが登場している。段ボールコンポストをやろうと言う人が、そしてその活動を支えようという人たちが、どんどん現れてきている。