お茶畑の作業

   

放射能に汚染されて、お茶が飲めなかったお茶畑の作業を行った。農水省からの指示では、枝葉を出来る限り切り落とせと言うことである。農協からも似たような指示が来た。できるだけのことはしたい。マサイさんが先日言われた100年かけて元の土地に戻すという覚悟を伺い、土を元の状態に戻す気になった。こんな暗い思いの農作業はめったにない。大抵は農作業は楽しいのに、今回の作業は気が重い。枝葉を落とし、そして畑から持ち出す。ひたすらこれを行った。10名の人が参加した。予想以上の人数で、感激した。といえども誰もがとても暗い気持ちで作業にかかわったと思う。農の会では、先日の茶葉の刈落としの作業も今回の作業も、参加してくれる人がいる。やったからと言ってお茶が飲めるかどうかわからないにもかかわらず、参加してくれる人がいる。農の会はどっこい生きている。

大変な作業であった。お茶畑の畝間に貯まっている表土を出してしまおうというのだから、情けないこと限りない。多分何十年かけて出来てきた土壌をひたすら持ち出した。全体でいえば、まだ持ち出しは、4分の1程度である。しかし、東北出津波の被害を受けた方々の作業を思えば、大変などと言ってはならないのだろう。お茶畑がまだあるだけいい。がんばれる場所があるのだから、ここで働いてみるしかない。特に60歳以上は出番だと思っている。小田原あたりで、大げさでないか。福島の事を考えてみろ、ということを直接言われた人もいる。確かにそうである。小田原の久野は現在空間線量は、ほぼ平常値と言っていい。しかし、土壌が放射能で汚染されたことだけは、根府川の試験場のデーターでも土壌は100ベクレル程度にはなっている。さしたる値ではないだろうという意見もある。どう考えるかは、各人の考えでいいのだと思う。

このお茶畑を初めて茶摘みした時は、山に戻りかけていた。背丈は、2,5メートルぐらいに伸びて、ヤブカラシや山いもなどの蔓が覆かかっていた。それをかき分けながら茶摘みをした。そしてこの茶畑を元に戻してみようと集まった人で考えた。きのうもその時の仲間の一人のSさんが来てくれた。思いは同じなのだ。この茶畑は、川を渡る細い橋しか道がない。農家の人としては最初に止める畑である。それからまともに詰めるようになるだけでも3年かかった。放棄されてから数えれば6年目である。3年で山に成り、3年で畑で戻った。その後も、ダニが急速に広がったり、一部のお茶が枯れてしまったり。様々なことがあった。それでも毎年100人以上の人が、お茶摘みで集まり、美味しいお茶を飲むことが出来た。

来年の新茶を目指して、できる限りの作業をやってみる。それで改善方向なら、さらに努力をする。その作業自体が農の会なのだと思う。大豆の会も同じである。大豆がどうなるかは、未知数である。土壌の調査をして、そして、耕作してみる。できた大豆も測定してみる。政府の発表している移行計数は、一例にすぎない。土壌の性質、肥料の状態、特にミネラルがどのように存在しているのか、天候の影響も極めて大きいはずだ。自分で改善策を探るしかない。1歩でも前に向かって、良くする。次の世代のためへの謝罪でもある。原発をまだ廃絶出来ないでいる悲しさを抱えながらである。

昨日の自給作業:お茶の作業6時間 累計:38時間

 - 自給