雷田プロジェクト
まさかうちの犬が新聞に出ていと思って、びっくりしてしまった。孫社長の太陽光パネルの計画「電田プロジェクト」。雷の田んぼ。雷が田んぼに落ちると、空中窒素が固定されるのだという説がある。お米が沢山採れるということが言われるが。そう言う計画ではない。直接的には雷が落ちれば、稲が枯れるのは当然である。しかし、翌年はとても良くできたというようなことはあるのかもしれない。稲妻という言葉からしても、稲に対する日本人の特別な思いと、稲妻を天からの信号のように感じることは、違和感がない。日本人にとって、お米を作ることは神事であった。稲妻が田んぼにもし落ちれば、これは何か啓示のようなものかもしれない。こう思う心理は働いただろう。翌年もしかしたら、この田んぼは神田に成ったかもしれない。神社にはお供えをする田んぼは、めずらしい雷の落ちた田んぼを特別視する気持ちとつながってくる。力が入ればお米は採れるものだ。
わたしの家の雷田は、ライデンと読む。もちろん天下無双の力士雷電から来ている。強い名前を付ければ、元気に育ってくれると思ったことが一番だけど、京都のタッズさんのところから我が家に雷田が来た日は、雷のそれはすざましい日だった。2003年の10月1日である。坊所の田んぼは稲穂が美しくなびいていた。そこに何かを告げるように、稲妻が何度も何度も光った。子犬の雷田はまるで雷の響き渡る音になどに動じない。そうだ、雷の田んぼにすれば元気に育ってくれるだろうということになった。その通りに元気すぎる犬に育った。有難いことだ。雷は雨だ。昔の水田は常に水不足だった。雷が鳴って雨が降れば、悪いはずがない。水争いの勢力争いで、集落ごとの組織が形成されたぐらい水確保は、暮らしの命運を握っていた。日本人の話し合いの基本は水の分け方である。稲妻の意味も奥がある。
孫社長の方は、でんでんプロジェクトらしい。でんでん虫を連想するが、耕作放棄地に太陽光パネルの設置する計画。新築住宅の屋根には、太陽光パネルを義務化するという案もあるから、農地はできる限り農地で維持していただきたいという気もするが。この際それどころでない。優先順位から言えば、最優先が原発の廃絶である。こういう時に、様々な付帯条件が出てくると、原発推進派の思うつぼである。どれほどよいことであっても、問題がないものは無い。はっきりしていることとは、原発ほど悪いものは無いということ。それより比較して良いなら、今は良いことにする。日本の住宅の屋根にすべて太陽光パネルを付けたとしたら、原発はいらない。耕作放棄地すべてに太陽光パネルを張れば、原発はいらない。そう考えるべきだ。この際パネルの廃棄はどうするとか、敵に乗じさせないことである。
休耕田50万ヘクタールの20%10万ヘクタールに、太陽光発電のパネルを敷き詰めると、どのくらいの発電ができるか。50ギガワットの発電能力があるそうだ。これはピーク時間における原発50基分となる。日本の屋根全部と同じ位いになる。これをやってみようというのが、孫社長の提案である。田んぼは日当たりは良いし平らである。空き田んぼに太陽光パネル。再生可能エネルギー特別措置法案の細部は良く分からないが。自然エネルギーを誰でもが取り組める可能性が広がるなら、やるべきだ。電気の独占体制から、自然エネルギーが自立する布石に成る可能性があるのかどうか。どうも買取価格を高くするということだけが注目されているが。問題の本質から少々ずれている。誰でも電気事業が可能になること。地域でエネルギーも自給すること。これがことの本質である。
昨日の自給作業:田んぼの草取り1時間 累計時間;39時間