今出来ること
今回の大災害で「善意ですよ。」行為がどうにも気に成る。すべては自分の為に行っている。だから、黙ってやるのが基本。例えば、コンビニやファミレスの被災地支援募金。いいことではあるのだろうが、どこかすっきりしない。あんたがひねくれて受け止めるから悪いんだ、と言われているような気にも成るが。もし善意でやりたいなら、目立たないようにやって欲しいと言いたくなる。選挙と重なって選挙運動なのか、災害地支援か境目の怪しげば活動もあった。掛け声はこの時とばかり大きくなる。まあ、目立たなければ動けない人とか、勲章が貰いたいからのボランティアとか。人間の怪しさが時を得たように、盛り上がる。善意を看板に人集めに奔走する。赤十字への支援金が被災者に届かない。想像したとおりである。
ボランティアが満員という報道である。必要なところに必要な人員が行かない。人手が要らない訳が無い。ボランティアごっこの人は結構です。ということなのだろう。本当の復興は仕事として行うものだ。自衛隊はそろそろ10万人体制が終わりに成る。この終わりに成るという意味も分からない。せめて不明者1万人の結論が出るまでやるのが、災害救助隊としての自衛隊の仕事だと思う。被災地の片づけだけでも、膨大な仕事量である。行政がかじ取りをして、仕事の体制を整えることだ。それが出来ないというのであれば、そこに全国の仕事のない建設業の関係の力も借りて、経済の合理性を持って復興事業を行う。多くの人が被災し、農業でも漁業でもすぐには始められない。こうした人たちを雇用する復興事業こそ重要になるだろう。政府は訳が分からない状態だから、建設業協会あたりが動き出したらどうか。
では私自身は何をすればいいか。この歳では現地での作業には足手まといである。今まで自分がやってきたことをもう一息頑張るのが基本だと考えている。隠居のしかかりの身としては、隠居を一年延ばすことにした。そうして被災地の復興までの期間をつなぐ。被災地で失われた生産力を、1年間年寄りでつないでおく。米1俵多く作る。慣れた得意分野で仕事をすることが、具体的に一番役立つはずだ。そして、今年1年の稼いだ金は、復興支援に充てる。復興国債が出たら大いに買おうではないか。20年後国債が戻せる状態の日本にしなければならない。それも政府が今のようでは怪しいが、今は政府どころではない。東北への故郷納税もやりたい。被災地の子供の育英制度が出来るようだ。これも大切だろう。出来る限りの資金援助である。出掛けるのでは足手まといになる、年寄りの役割だと思う。
若い人は現地に行き、手伝ってほしい。邪魔だと言われても現地でおろおろして居るだけでも構わない。少々の迷惑は良い。必ず自分の為である。加藤市長によると、小田原市から相馬市に対し、災害遺児の支援を市長は約束したらしい。「毎月3万円の学資を、何とか渡してあげたいとのこと、それについては報徳のご縁もあり、何とか小田原で集められるよう、小田原に戻り次第市民に声掛けをすることを回答。」市長がここまで約束されている。相馬市への故郷納税の推進。という形はとれないものだろうか。故郷納税の使用目的の明確化は可能らしい。私の分は全額相馬市への故郷納税に回そうではないか。小田原市の税金が減る訳で申し訳はないが、ここは、市長の相馬市への気持ちに答えたいが。いかがなものであろうか。