秋冬番茶を作りたい。
「25日は秋冬番茶の製造委託が始まります。10月の株ならし茶(赤棒、こわ葉)捨ててしまうもので構いません。生葉で買い上げ致しますので(30円/kg,以上生は)御希望の方はご連絡ください。」久野でお茶工場をされている、顧問もしていただいた、T農園からメールが入った。以前から、番茶というものには、とても興味があった。これは何としても実現したいものである。5月の77夜に摘む新茶の美味しさは格別である。しかし、暑い夏を越した、黒々としたごわごわの葉っぱでお茶が出来ないものか。いつも思っていたことだ。葉っぱとしては、充分に生育した、生命力にあふれたものである。価値が無い訳が無い。キャベツにつくいも虫は、あのかたい外葉が好きだ。中の球になるキャベツと呼んでいる部分は彼らにとっては、さしたる価値のない、命のない食べ物という訳だ。もし、あのかたい葉っぱがお茶になるなら、これほど素晴らしいことはない。
秋の整枝作業の時に、出る大量の葉っぱは茶園に戻され、土づくりに一役買っていた。その量は通路を埋め尽くす年もあったくらいだ。その枝の上から、養鶏場の床材を反当たり、200キロくらい蒔く。これを繰り返してきたことが、土を良くしてきたことは確かでふかふかの土になっている。それにしてももったいないと、こんな見事な葉っぱを捨ててしまっていいものか。そう思っていた。一度夏に、この葉っぱを摘んでみようという企画を立てたことはあった。しかし、この茶葉をお茶にしてくれるところが無かった。お茶工場は常に開いている訳ではない。上手く行かないまま、過ぎていた。渡りに船とはこのことだ。お茶工場では、茶葉を買ってくれるということだが、製茶代を払っても、是非お茶にしてみたい。今年試してみて、飲んでみてのことだ。もしかしたら農の会の新商品になるかもしれない。
お茶というものは多様なものである。番茶と一言でいっても何を意味するのかさえ、難しい。番茶のことを焙じ茶というように言う人もいる。一番茶、2番茶という風に茶葉を摘んで、最後に摘む茶葉で作ったものを、番茶ということもある。晩茶という字を当てた方がいい。中には茶摘みの後に、次の2番葉を摘むために、整枝をする。これを使った番茶もある。いずれにしても、各地方に様々な製法が本来あったようだ。お茶を買うようになって、一遍に消えてしまった大切な製法であったはずだ。新芽を摘むような、面倒で歩留まりの悪い方法は、販売用であり、高級茶である。茶道などと関係するのだろう。普通お茶として飲んでいたのは、番茶であったはずだ。考えれば考えるほど、農の会の番茶を作ってみたくなってくる。
番茶の特徴は、カフェインがすくなり、タンニン、カテキンが増える。実はこう言う能書は、信用できないのだが。身体が体験して、望むところである。番茶はまさに薬草を煎じる製法である。血糖値を下げる。むかついた時自家製梅醤番茶に使えば、大いに期待できる。当然醤油も自家製である。農の会の茶園は、夏でも極端に虫が出ないようになった。これは、自然のバランスがとれてきたということだ。周囲が山で竹やぶに囲まれたような状態もいいはずだ。それでも最初の頃は夏になると葉がダニにやられた。それが年々減ってきて、最近では全く葉が健康のまま夏を越す。10年を超えて良くなった。こういう自然の環境に適合した茶葉で番茶を作れば、どういうものになるか、とても興味が増してくる。