糖尿病と肥満

   

糖尿病は遺伝性が強いと言われている。祖父は糖尿から、結核になってなくなったと聞いている。父は、50から糖尿で、亡くなる76まで、次々と成人病と言われるものを併発して、亡くなった。繰り返し、糖尿病になるような食生活はしてはならないといっていた。食事のカロリー計算とか、血糖値の事とか、色々覚えた。インシュリン注射の仕方とかも、熟達した。父は、戦争に8年間も行っていて、ガリガリに痩せて帰ってきたそうだ。戦後は畑を相模原でやって自給した。しかし、食べ物に対する不安が常にあって、1ヶ月先ぐらいの食糧が常備されていないと、不安でいられなかった。戦争中も食糧係というか、炊事係だったらしい。気象庁で食堂をやったこともあったぐらいで、食事を作ることは、率先してやるほうだった。作るのがすきというか、食糧不足状態に不安があって、常に精神状態は飢餓にあったのだと思う。

食べると言うより、喉に流し込むような食べ方で、早食いと言われる軍隊でも食べるのが一番早かったと言うのが、自慢話だった。一方母方は、食が細い。祖父は禅宗のお寺に預けられ、育った人だったから、生臭は一切食べない。孫の生卵を食べた茶碗を自分の茶碗と一緒に洗うことさえ嫌った。母は長女として、祖父の影響を一番強く受けた人だったから、父とは食事の事では戸惑いが多かったと思う。母は食事はほとんど作らない一生を送った。父が食材をどこででもやたら買ってきて、うまそうだったと言うので、食事を作り始める。常に飢餓感があるから、4時ころには既に夕食を準備していたりする。そして、作ると、「食っちゃえ、くっちゃえ。」と周辺の人に押し付ける。もちろん自分はあっという間に食べ終わっている。家族で食卓を囲むなどと言う事は、めったにあることではなかった。

それが目が見えなくなりますよと、言われるほどの重症の糖尿に成った。しかし、長かった闘病生活、食事制限については、相当徹底していたほうだと思う。自制心は強かった。飢餓意識が病的にある人間が食事制限だから、これは相当に苦しかったと思うが、苦しんだがやりぬいた。それを高校生時代から長年、まじかで見たから、それ以来糖尿病の1300キロカロリーの食事で平気になった。少食なら健康であるという意識がある。当然祖父の食生活の影響もあるのだろう。禅堂ではこうだった、と言う食事である。山奥の自給自足だから、菜食が基本で、魚は池の鯉を食べるとか、イノシシが取れたとか、鶏をしめるとか、生臭は特別の時だけである。その経験からきた総合的な食生活を、健康食と言うイメージを持って作り上げてきた。都合のいい情報だけをかき集めてきたわけだ。

ところが、日本人が糖尿になるのは、肥満ではない。と言う疫学調査がでてきた。これには少々驚いたが、思い当たる所がある。糖尿になるのはインシュリン不足である。何故インシュリンが不足するかは、遺伝的なものである。これが日本人全般の傾向なのだ。日本人は糖尿になるような食事をしてこなかった民族のような気がする。だからインシュリンが要らない体質の人間が増えた。日本食の評価。所が厚生省流れの医学は海外情報を絶対とする、妄信がある。アメリカで糖尿病が肥満の人に多いい、と言うデーターがあれば、肥満にならなければ糖尿にならないと言う、日本人の体質と言うような大切な細部はどうでもよくなり、結論だけ輸入する。ところが、疫学調査は四年間、北名古屋市に住む五十歳以上の約四千人を対象。対象者の十人に一人が糖尿病を発症。糖尿病患者は標準体形の方が多かった。驚いた結果である。もう一度糖尿病について知らべてみたい。

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