城下町ホール、駅前の是非

   

何時も選挙が終わると、繰り返し言われる事ですが。これからもさらにみんなが言うことでしょうが。「選挙で決めたのは、マニュフェストのすべてではない。」小澤前市長の市民を大切にする市政も、そうでした。マニュフェストを軽く扱った結果、市民には難しい事は無理だ。こうなりました。何時までたっても政策による、選挙にならなりません。マニュフェストを重んずるところから、こりゃ大変だ。隅から隅まで読んで、きちっと政策で選挙をしよう。少し、変わるのだと思います。市民の意見を聞くというのは、簡単ではありません。意見の集め方に、具体的な形を作って行かなければ、あくまで個人の意見です。市民アンケートをやるとか、市民集会をやるとか、個別に聞くのでは、市民自治への道にならない。城下町ホールという、市民が関心あるテーマを利用して、市民がどう市政に参加してゆくかの、この流れを作り出す。ここが今市民に問われている、重要な役割だと考えます。

城下町ホールは市政にとって、重要な事ではありますが。私にとっては、小さな事です。駅前再開発も小さな事です。早く片付けて、ごみの事や、有機農業の事や、里地里山の事の方に、関心が向いて欲しいと思うところです。だから、深く学んでは居ません。契約の内容も読んだわけではありません。その範囲で素人考えで意見を書くとするなら、駅の傍にホールがあればいいと思います。ホールは郊外型か、駅傍、このどちらかの立地が良いとおもいます。これからは、2市8町のホールであるべきでしょう。山北や湯河原の人にとって、どうであるかも重要だと思います。小田原城の傍に作るものは、お城と内容的に相乗効果のあるものがいいでしょう。小田原の商店街の活性化にとって、駅にさらに商業スペースが広がる事は、マイナス以外の何者でもないでしょう。市有地で、市が行う事業で、一般商店を追い詰める事業を行うなど、とんでもない事です。

この先、商店街がますます、沈滞化することは、間違いありません。これは、誰が悪いという訳ではなく。そういう社会の方向と思った方が良い。その足を引っ張るような事を、行政がかかわるなど止めた方がいいと、感じます。消費社会から、徐々にまともな社会に変わってゆけば、当然同じものをアチコチで競って売るようなことは、減少してゆく。商店の経営が、社会の変化から見れば、陳腐化している。これからは、郊外型か、さらに引き売り、宅配にかわってゆくのが、社会の趨勢です。インターネット利用もさらに増えることは、間違い無しでしょう。その上で、何が中心市街地の必要な物か。商店もどの程度必要か。街に必要な他の機能は何か。広場と呼ぶに相応しい場はあるのだろうか。学びの場はあるのだろうか。小田原の商店主のシンポジュームに出たことがあります。未来から、街としての小田原を考えるという視点が不足している。昔のようにとか、観光客が来るようにとか、郊外の大型店舗が良くないとか、成功体験が災いしているのだと感じました。

街づくりのなかに、里地里山事業も含まれて居ます。桑原のめだか事業も同じだと思います。まず、市民の動きがある。活発な活動が継続されている。これが大前提だと思います。行政はその市民の活動をどのように、サポートするかが、基本です。法的な整理。周辺との調整。必要な範囲での、予算処置。普通に暮す市民が、地域をどのように良くするか、実際に動き出している。ここからしか、市民自治は始まらないと思います。動きそのものを行政が作り出す。どのようにすばらしいものであれ、これは市民自治ではない。小田原市民が加藤新市長を選択したのは、ここだと思いたい。ホールが欲しいなら、ホールを使うものが、もっと発言するべきです。競輪場跡地に作りたい。こういう意見も聞きます。絵を描く立場で言えば、絵の展示会場がないのがすごいと思います。そういう20万都市は他にありません。一夜城辺りの海の見える丘に、小さなギャラリーがあれば、日本中から見に来るでしょう。

昨日の自給作業:草取り1時間 累計時間:4時間

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