自給的に生きる その3
2016/08/08
農業に進んで
養鶏を始める事になってしまった、成り行きは、あまりに平飼い養鶏の世界が安易だったからだ。せっかく、新規就農者の始められる良い方向が、いつまでも、こんな事では大変な事になる。ここは、発言しようと考えた。子供の頃から鶏を飼ってきた人間として、平飼い養鶏はちょっとおかしいと思えたのだ。もちろん弱い立場の平飼い養鶏を攻める事になるから、難しかった。20年前は、中島さんの自然卵養鶏に啓発されて、新規就農者が次々に養鶏から入っていくと言う状態があった。
どうも養鶏をやっている奴らはインチキ臭い。と言う話を、他の分野の新規就農者から、よく聞いていた。それは今でも続いているのだけれど、何とか水を与えれば、農薬や化学物質の影響が消えるとか。何とか菌を加えれば、なんでも解決しまうと言うような、安易な考え方だ。あるいは、インドに良いトオモロコシがあれば、取り寄せて内は安全な飼料です。と自慢するような安易に独善的な発想だ。さらに言えば、日本中を行き来させるような、宅急便を利用した販売だ。
何故こんな不自然が、自然卵養鶏か。この矛盾を一日も早く正さないと、せっかく育ち始めた自然養鶏も自滅するだろう、と考えていた。しかし、考えれば考えるほど日本と言う環境の中で、どんな養鶏が可能なのか。大変困難な道だ。困難だが、やり方はある。そう思うと取り組んで見たくなった。もちろん、現金収入があるのはありがたい。そう言う事もあった。趣味で飼っている自給用の卵を、欲しいと言う人が尋ねてくた。しかし、食べ物を販売すると言う事は、10羽も1万羽も同じ事。別の困難が生じる。
この辺で、自給と考えていながら、農業に進んでみようと言う事が起きた。収入が欲しいと言うより、農業に加わらない限り、発言が許されない空気があった。農業者は実証主義だから、理論は軽視する。変わりに、やっていればそれだけで信じてしまう事が多いい。実はどちらも同じ事なのだが。この生業と言う世界に踏み込んでみた事で、今まで接した事のないタイプの新しい仲間ができた。自給の仲間とは一味違う仲間が増えた。
自給的に生きる集団。この中に人間の本質的な関係と言うものがある。人は、7軒ぐらいで、塊を作って生きるのが、一番合理的だ。そんな動物のようだ。たぶん村があり、部落があり、組が最小単位として、そんな数だろう。そのぐらいの塊に入る事が出来ると。安心して生きる事ができる生き物ではないか。一軒でやってゆく、不具合。これは水とか、田んぼとか、教育とか、葬儀とか、全ての暮らしの基本に到るだろう。たぶんそうした事が、単なる厄介な、迷惑な、負担として感じるのは、今の勤めに出る暮らしであれば、当然の結果だろう。
生きる事に直に接してゆけば、そこまで進まざる得ない。集落に戻ろうとしたのは、結局そう言う事だった。一人で矛盾なく、山の中で自給的に生きる事は、案外簡単な事だった。但し、生きると言う事のそれは一部であって、ごく当たり前の生き物として、「生きる」は集団的に生きると言う事だ。そこには、自分の都合ではどうにもならない、他者の存在が在る。そのどうにもならないを引き受ける事も、生きると言う本質にはあるようなのだ。
舟原に来て、ドカッとした安心に取り囲まれた。それは、ダメでもいいじゃん。と言う、安らかさ。立身出世と言う明治以降の、おかしな競争社会と、本来の村落は違っていた。その事に気付いた。