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笹村 出-自給農業の記録-

中国、日本への渡航自粛要請

   

中国政府が、日本への渡航自粛を国民に呼びかけた。

中国外務省は14日夜にSNSで「今年に入ってから日本で中国人が襲われる事件が多発している上に、日本の指導者が公然と台湾に関する露骨な挑発を行い人的交流の雰囲気を著しく悪化させ、在日中国人の身体と生命の安全に重大なリスクをもたらせている」と警告。その上で「しばらくは日本への渡航を避けるよう厳重に注意喚起する」と自粛を呼びかけた。

日本ではオーバーツーリズムなのだから、迷惑な中国人観光客が多いのだから、有り難い位なので、良かった。と言うような意見が出ている。日本人ファーストの参政党が支持を広げている。高市総理大臣も支持が広がっている。日本に萎縮保守が増加している。

問題は日中関係と言うよりも、日本の停滞に原因している。高市氏も日本経済を復活すると大見得を切っているが、一向に効果的な政策は出てこない。そもそもそんな物はあるはずもなく、停滞の中での安定を求めるほかないのだ。しかし、国民は政府に対してサービス合戦を待っているだけなのだ。

日本が停滞に陥っている原因は、日本人が停滞したということに尽きる。日本人は決定的に敗戦して、腰が抜けた。そこから少数だが、不屈の根性のある人たちが、頑張り抜いて高度成長をすることになる。それが出来たのは、江戸時代に醸成されていた、日本人の底力である。

子供の頃山梨の藤垈という山村生活を体験した。そこで見た青年団や生活改善クラブの意欲的な活動はめざましいものがあった。映画の上映や盆踊り。村の新しい催事が次々と打ち出された。年寄りは苦い顔をしていたが、新しい時代に押し切られていた。

働きに出るのは「下取りの衆」で、誇りを捨てられずに勤めに出れない旧家ほど暮らしに追い込まれていった。これは後になって何があったのか分かったことなのだが、覚えている内に書いておきたい。

ある晩、見知らぬ立派に着飾ったおばさんが住職である祖父を尋ねてきた。これも今思えばだが、水商売風の匂いがして違和感があったのだろう。そして、その人は泣きながら、1時間ほど祖父と話し込んでいた。向昌院では、精神病の人を預かる施設をしていた。こういうことは珍しいことではなかった。

ところが、その晩は少し話が違ったようで、祖父ももらい泣きしたのではないかというような感じがしたのだ。そのおばさんが帰られてから、おじさん屋おばあさんとあれこれ話していた。墓石を作る話だった。そのお金を持って夜分に尋ねてきたのだ。

「そのお金はさすがに受け取れない」と、叔父とおばあさんに話していたのだ。そして叔父もおばあさんも「そうだそのお金はもらえない。」と言ってもらい泣きをしていた。何のことか、私には当時まったく分からなかった。

東京の家に帰り母にそのことを話した。おばさんの名前を覚えていたのでそれを話した。そのときはそれ以上母も何も言わなかった。その話さない感じが真剣なものだったので、それ以上子供の私には何があったのかは不安だったのだが、聞くことは出来なかった。

その話のないようは私が高校生ぐらいになってから、母から聞かせて貰った。母と同級生ぐらいの人だったらしい。とても綺麗な人だったそうだ。父親が死んでしまい、家に働き手がなく暮らしに行き詰まった。終戦後の社会の中で女郎として売られたのだそうだ。

その人が苦しい生活の中で、お金を貯めて、父親のお墓を建てて貰いたいと言うことだったらしい。なんでその話をここで書いたかと言えば、戦後社会がどれほど追い込まれた暮らしであったのか。しかし、何でもして働けば浮かび上がることが出来たと言うことである。

村のほとんどの家が、何かの勤めに出た。多くの人は日雇いの工事関係だったと思う。女性は新しく出来た工場に出たのだと思う。中学を出るとすぐに東京に就職する家がほとんどだった。正月休みになるとお土産を山ほど抱えて里帰りする人が居る家がうらやましかった。

総年数が経たないうちに、家が建て替えられていった。それまで住んでいた家は、家ではなく小屋だった訳だ。そのことも当時は分からなかった。藤垈集落は様変わりした。それは日本中の山村で起きていたことだ。山村だけでなく、日本が様変わりした。

山の中に残り、農業や林業でひたすら働く若者もいた。新しい農業に挑戦し、村は養蚕の村から、果樹栽培やホップ栽培、養鶏業を始める人も居た。農業機械を入れる農家も出てきた。山だったところが、開墾されどんどん畑が広がっていった。何でも作れば売れれる時代だった。

高度成長期に入って行く社会の底辺の一部を見てきた。何故農村で育つ中学卒の子供達が、金の卵と言われたかである。家族を支える思いが大きかった。しかも、子供ながらにいっぱしの働き手だった。農業をしながら育ち、観察し、工夫をする能力を備えていた。

同じ部落の友達に町田でブリキ屋さんになった人が居る。兄妹で家を建て直した。そろってクラスで一番成績が良かった兄姉である。中学の担任が成績が特別に良いので、高校に行った方が良いのではないかと、祖父のところに相談に来たほどである。祖父はきっぱりと勤めに出た方が良いと言っていた。

自分が働いて、家を建てて両親を楽をさせたい。両親が死んでいるならばお墓を建てたい。この今は失われた思いが日本を高度成長させた。先日もタイの山村から、母親に連れられた12歳の少女が日本に売られて、風俗店で働かされていた事件が報道された。家族のために我慢をしていた。涙が出てくる。

日本の停滞は当然のことに起きたことだと考えた方が良い。政治は日本人が変わって行くことを理解できなかった。江戸時代のままだった日本人の潜在能力があったからこそ、高度成長が可能だった。その後社会が変わり、生産に関わりながら、育つ子供は居なくなった。

児童労働は禁止される社会である。その結果人間が変わった。新しい人間が作る社会は、高度成長期の日本とは別物なのだ。ところが、社会は高度成長期の枠組みのままある。そこにコンピューター革命が起きている。日本はこの産業革命に乗り遅れた。

日本で引きこもりと言われる子供が増加している。学校に行かない子供が増えている。日本は状況が変わり、意識も変わった。日本は混乱が起きている。どう生きるべきかが見えなくなっている。そこで悪いのは自分ではなく、誰かだと責任の転化が起きている。当然なことで自分ではどうしようもないことばかり起きている。

今後、日中関係は悪い方向に進むことが予測される。日本では中国の崩壊ばかりを主張する人が後を絶たない。そうしている内に、日本が停滞している。人を悪く言っているどころではない。どう考えても中国と日本の経済力の差は開いて行く。中国中心のアジアの関係を考えなければならない。

高市氏が勇ましいのは勝手だが、総理大臣は自分の言いたいことを言えば良い仕事ではない。参政党ならばまだ良いが、日本の責任者なのだ。権力者なのだ。日本人の暮らしの方角を定める人なのだ。言いたいことも、譲れないことも、あるに違いないが、抑制してもらいた。

今の日本人は高市氏の勇ましさを歓迎してしまうようだ。極めて危険な兆候である。目先の憂さ晴らしが、後で取り返しの付かないことになる。中国と仲良くなる以外ない。アメリカはどうせ頼りにはならない。金の切れ目が縁の切れ目になる。

 

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