ワクチンの義務化と人権の兼ね合い
コロナウイルスがまた流行の兆しと、お盆の人の移動によって感染者がさらに増えるだろうとニュースでは流れている。9月に入るとすぐに東京に行くので、気をつけようと思う。人混みではマスクをするつもりだ。何しろ、今回の流行株は若者にはあまり問題が無く、老人は死亡リスクがあるとも流されていた。実はコロナウイルスははじめからそうした性格のウイルスだった。
コロナウイルスのワクチン接種では陰謀説まで出て、様々な議論が起こった。確かに社会全体で考えれば、一人でも多くのものがワクチンを打つことが望ましいに決まっている。1億人が助かるのであれば、数百人レベルで亡くなっても、大多数が無事なのだからその方が望ましいという考えに傾く。
老人である私がワクチンを打つのは、若いこれからの人に迷惑をかけたくないからだった。しかし、有料化されてからは打っていない。お金を出してまで、ワクチンを打ちたくはないし、若い人のこともそこまでは考えて居ないと言うことのようだ。若者とお金とは天秤にかけたわけでは無いが、自分の考えなど安っぽいものだとは思った。
経済至上主義の時代だから、経済合理性からして、ワクチンの半分義務化に成るのは当然のようなものだった。中国がどこの国よりもコロナ対策が厳しかったのは、社会や国家の方が、個人のことより優先されるからだ。コロナが広がり重慶という世界最大の3000万人都市が封鎖されたのだ。
しかし今回の流行では、すでにワクチンは自主的接種の上に、打ちたいと考えても、簡単にはワクチン自体が出来ない無い状態だそうだ。たぶん石垣ではコロナワクチンは接種できない状況では無いだろうか。ワクチンを確保しておくことも大変なことなのだ。喉元を過ぎたのだ。
無料のワクチンはすべて打った。危険はほぼ無いと考えた。何万分の一の対象には私は成らないという経験則からである。宝くじも当たるわけが無いし、いくらか確率が高いだろう町の商店街のくじでさえ当たった経験が無い。ワクチンでの影響も全くなかった。何の変化もないので、免疫が出来ていないのでは無いかとさえ感じた。
しかし、ワクチンを打たない人の意見では、一万分の一でも自分が死ぬと考える人の意見が主張された。全体の福祉のためだとして、社会目的の手段として人間を利用することなど許される余地はない。だからワクチンを推奨するのは、社会として行うべきではないと言うことになる。
新型コロナウイルスのワクチン接種の議論においても、ワクチンの利益と害、つまり、ワクチンの個人に対する安全性と社会全体への有効性を秤にかける議論に成っていたように思う。この点ばかりの議論が繰り返された結果、人間一人の尊厳に対する議論はあまりされなかった。
自分の身体に関することは、自分で決めるべきことで、社会全体の福祉の意図で強制されることはおかしいという、権利だ。さらに、病気でも無い人間に、免疫を作るために発症はしないとしても、人為的に病気に感染させて良いものかどうかと言う議論はなかった。
極論を言えば、病気を治すと言うことを人為的に行うことは、天命に逆らう、行うべきではない行為ではないかという、宗教的思想についての議論にもつながる。医療とは何か。病にかかれば人間はその病と戦い敗れれば死ぬことを天命とするという考え方もある。
そうした宗教的とも言える哲学の持ち主に対して、ワクチンの強制は論外と言える。輸血をしては成らない。と言う宗教も実際存在し、親が子供の輸血を拒否して、時々社会問題化する子供も居るわけだ。未成年の子供の人権を親が支配して良いものかと言うことも議論された。
輸血をしたら、悪魔に魂を売ることになるという非科学的な考えは止めた方が良いと思うが。そういう人が居るかもしれないと言うことは想像できる。そう宗教的に信じている人がそうするのはその人の権利である。問題はその人の未成年の子どもの権利は同感眼が得るべきかである。
社会が管理すべきだ。親がおかしければ子供の命を奪って良いとは到底言えない。人の命はその人自身が最終的には判断すべきだから、親が子供の人権を無視して命の判断をしても良いはずがない。しかし、現実には病気の子供の医療は親の承認が無ければ行えない。
ワクチンと感染症の問題は、人権の議論が十分にされないまま、曖昧に過ぎている。次に起こる感染症に対して、人間はどう対応できるのだろうか。たぶん社会の成熟度がさらに衰退して行くだろうから、ハチャメタ名混乱が起こることだろう。そして、経済優先で社会は進む。
コロナ感染症の場合、老人の外出禁止を行えば良かったというのが結果論である。コンピュターがそう示唆していたそうだ。これからはAIさんに教えて貰った方が良いことが極めて多い。では60歳以上の老人の外出禁止が何故出来なかったと言えば、政治家の大半が60歳以上だったからだろう。
政治家が60歳以下の人ばかりであれば、権力者が若い人ばかりであれば、すぐに老人外出禁止令である。60歳以上の人には、コロナワクチンだと言って、ICチップが打たれたかもしれない。出歩いていれば、すぐに収監される。まあ、食べ物は運んでくれるのであろうから、それでもかまわない。
のぼたん農園にこもって、絵を描いていれば良いだろう。農園から外に出なければ良いのであれば、クレジットショッピングでネットで何でも取り寄せることにすれば良いだろう。何も困ることも無い。今も似たようなものだ。
なぜ、最善の方策であったと思われる、60歳以上外出禁止が検討どころか、考えもされなかったのかを考えておかなければならない。権力者に年寄りが多いと言うことはさっき書いた。社会の重要な仕事に案外60歳以上の人が多いのでは無いか。例えば医師の人は私の同年代でも働いている人が普通に居る。
コロナ流行の時に、60歳以上の医療関係者が治療から抜ければ、医療が維持できなかった可能性が高かったはずだ。では外出可能な老人と外出禁止の老人の線引きが必要になり、なかなか難しい。外出必要申請者はワクチンを自主的に行う必要はあるだろう。
もしかしたら、老人外出禁止令だけで、流行が問題になることも無く、若い人の感染免疫が進み、収束したのかもしれない。スーパーコンピュターで再検証して置いた方が良いような気がする。結果論かもしれないが、次の感染症に際して参考になるはずだ。
社会は個人の人権に対して、議論が出来ない。何故か曖昧なまま、結果だけを押しつけて、少数者を圧力で抹殺する。私など、多数派にいる場合が多いので、あまりストレスは感じないが、反ワクチン主義者には、今回のコロナワクチン接種の方法はどう言う気分だっただろうかとは思う。
見えない社会的圧力で人を動かす。見えるものと言えば、飛行機に乗れないという体験をした。日本がワクチン接種の無い人を入国させないと決めたと言うことで、台北で飛行機に搭乗できないと言うことになった。日本から接種した証明をやっと取り寄せて帰国した。
ワクチンを打たない人は、入国の権利を日本政府から制限されたと言うことになる。台湾には大使館も無い。日本政府は私にどうしろと言うことだったのか。どう考えても不用なことだった。もし私がワクチンを接種して否としたら、日本に戻る権利を、政府から取り上げられたと言うことになる。そんなことが許されるのだろうか。