76歳はおめでたい。
76歳の誕生日である。父が亡くなった歳になった。いつか来るとは思っていたが、実感としてはずいぶん早く到達した。そしてまだまだ死ぬとは考えられない。百歳までは生きるつもりだから、まだ24年ある。父には何もかも及ばないが、年齢だけは追い抜けそうだ。
曹洞宗の僧侶のつもりで生きている。時々意識して自分が死ぬことを考える。しかし、死んで行くことに対する覚悟などない。道元禅師が、生まれてきたことと、死んでゆくことを考えなさい。と言われている。生きるというのはその間にあることだから、生まれてきたこと、と死んで行くことが分かれば、どのように生きるかが分かる。ということなのだろう。
簡単には分からないのだが。ただ死ぬということを常日頃考えていれば、死ぬということが理解できて、だんだん身近になれば良いと思う。死ぬことが不吉なことではなく、あたりまえのことになり、突然訪れる恐ろしいことでは無くなる。死ぬと言うことは命あるものすべてに訪れる。いつも突然であり、一方的で、自分にはどうしようも無い物だ。
死ぬ自分という存在は、どうなるだろうか。死後の世界はあるのだろうか。そういうことはどう考えてもかまわない。科学的に、論理的に考えれば、死んですべてが消滅すると言うことしか無い。生物の生命の真理である。まさに無から生じて無に帰ることになる。単細胞生物も、人間もいささかも変わらない。
要するに死んでゆくということに慣れ親しんでおく。そうすればいよいよの時に、比較的慌てないで済む。今日間違いなく76歳になった。最近は友人が思いがけなく死んでしまう。がっかりしてしまう。自分のことではあわてないでおきたい。まだまだ死ぬ気は無いが。
父も母も、平然と見事に死んでくれて、安心させてくれた。あのように平然と死に向かい合うのであれば良いと思う。私の両親は立派な死に方だった。私がまだ死ねないというのは、自分という命をまだ全うしていない。という気持ちがあるからだ。生きるということへの執着とも言える。
死を恐れるのは、結局わからないからである。死んだ経験は誰にもないことだから、不安を伴うのは当然のことだ。死ぬのは事故とか、病気だから、死んでしまった後より死に際が大変だと言うことになる。しかし人間は死に際の心配よりも、その後の無い世界のことを、大抵は心配している。
様々な宗教がこの不明の死後の領域を、様々に非科学的に妄想し、でっち上げている。悪いことをすれば、地獄へ行く。正しく生きれば、天国に行ける。全くのエセ科学を宗教は主張する。天動説どころでは無い。一体宗教は科学を拒否して何が出来るというのだろう。道元禅師にはそういうおかしさは無い。
そして、考えるのは生まれてきた前のことである。これまた不明のままである。不明の闇から生まれてきた以上、死んだ先も不明の闇である。不明なのは脳細胞がまだ無いのだから、生まれてくる前には自分という者が存在しない。生きている今と言うときが自分という存在した時である。
不明の闇と納得できれば、良い訳だが、これがなかなか難しい。AIさんにでも聞いてみればいいわけだが、たぶん納得して安心できると言うことにはならないだろう。どのように考えても死を受け入れるということには、消えて行く自己を認識する覚悟がいるのだ。死ぬという覚悟を持つために、日々只管打画の修行をしているはずだ。
絵というものに執着が生まれることは、死を恐れることにつながる。だから道元禅師は一切ものに執着せず、ただ座禅を行うことを示したのだろう。しかし乞食禅の私にはそれは出来なかった。絵という一つの物にすがることで、安心立命をしようとしているのだろう。絵という南無阿弥陀仏だ。
絵という残す価値のあるものを描いた「自己」というように、自己の意味を絵という事物に依存しては成らないと言うことだ。物や名誉に生きる意味を見いだそうとすれば、日々生きるという本来の意味を見つけ出すことが出来ない。ただ一時を生きているという生命を深く、深く感ずる。
これは間違いであるのだろうか。私の命である。間違いでも良いと考えることにした。間違いでもその執着に没頭することで、安心立命できるのであれば、人それぞれであると考えることにした。座禅という何も生み出さない物に耐えられなかった人間は、何かにすがりついてでも、精一杯に生きるほか無い。
只管打坐をとおして、自分という物を知ると言うことなのだろう。自分という物が分かると言うことが、生と死を判ると言うことなのだろう。学問の世界も生と死を研究しているのかもしれない。生命という物の誕生と消滅は、科学が研究すべき一番の課題だ。
科学的な思考法が無いと、天国があるとか死後の世界があるなどというまやかしが生まれる。納得はいかないとしても、まずは化学的に考えてみるほかない。死を信仰で納得できる人は信心をすればいいのだろう。しかし、科学的な思考法を持つ現代人には、宗教的まやかしの天国など、信じがたいのは当然のことだ。
現代では南無阿弥陀仏と唱えれば、輪廻転生するなどと言われても、信じられる人はまずいないだろう。だから宗教は力を失った。残っているのは、統一教会やら、オウムのような、欺し方の上手なエセ宗教である。伝統的な宗派宗教は葬式宗教としてだけ残っている。新興宗教と言われる物は消えて行く課程なのだろう。
誕生日は冥土への一里塚とはよく言った。生きていると言うことは目的地があり、底に向かって、歩いていると言うことになる。目的地は自給農法の確立である。神奈川県で確立した物を、もう一度石垣島で確立しようとしている。山北での確立は5年もかからなかったが、石垣島では10年かかりそうだ。
その一番の原因は、山北ではただ作った作物が、気候に適合していたのだ。関東地方は普通に売られている作物が、気候にあっている。そういう風に作物の作出が行われていた。ところが石垣島では、亜熱帯の気候に適合しない品種を無理矢理作るほか無かった。これで困難を極めた。
ただ4年目に入り、やっと方角の過ちに気づき、修正をしている。「ひこばえ農法」「アカウキクサ農法」の方角である。一番楽して自給できる方角がやっと見えてきた。肥料が最小限で自給できて、年三回イネの収穫がある方法である。かなり具体的になってきている。
もう一つ自給農法で今取り組んでいるのが大豆栽培である。大豆が無ければ食生活も貧しい物になる。大豆は自給農業には不可欠である。今まで失敗を繰り返している。今回は台湾の嘉義の農家の方に、詳しく教えていただいたので、できる限り教わったように進めている。
一度で成功するとも思わないが、大豆栽培も頑張って取り組むつもりだ。防風ネットを張る栽培法である。鳥の害が多すぎて、せっかく発芽してもみんな食べられてしまう。発芽までの3日間が最も重要になるそうだ。そのための土壌水分の適正化に頑張るつもりだ。24日に播種するので、21日には大豆畑に灌水をする。
動ける間は、自給農法の確立に向けて進むつもりだ。自分の好奇心に従うことなのだが、それが必ず次の時代に重要になると考えて居る。今まで38年取り組んできた方角が間違えでなかったと考えている。やりたいことが、次の時代の何かになるそう思うと、どこまでも頑張ろうという気になる。
76歳はやはりめでたい。ありがたいことだと思う。76歳で農作業が出来る身体に産んでくれて、頭もまだ使えるように育ててくれた母親には深い感謝がある。それはご先祖すべての人に感謝してもし尽くせないことだ。この先に残された、年月を十二分に生きようと思う。