第24回水彩人展準備が進む

台風の近づく石垣島を飛び立ったところ。飛行機はさすがに揺れている。
小田原に来ている。今日明日と台風11号が石垣島を直撃しそうである。風速70メートルと報道されている。家はまず大丈夫だと思うが、のぼたん農園は果たしてどうなるだろうか。ひこばえのイネは実り始めたところで、強風にやられてしまうのだろうか。
台風を避けるように石垣島を離れることができた。運よく飛行機は飛んでくれたので、幸運だったと思う。前日も、翌日もダメで唯一迷走台風が沖縄から離れてくれた日だった。もし飛行機が飛んでくれなかったら、絵の搬入はどうなっただろうか。
都美術館にはプリンターを運ぶ予定だったので、水彩人展の仕事に危なく支障をきたすところだった。水彩人展の出品作の方は小田原に置いてある、4つの額に無事額装で来た。渡部さんが手伝ってくれたので、何とか出来た。一人でやることはあまりないので、何かと不安ではあったのだ。
今回水彩人展では総務係である。展覧会開催の責任者という立場である。水彩人の組織の構造としては代表がいて、事務局があるが。それとは別に24回水彩人展覧会自体の運営を取り仕切る総務係というものがある。都美術館への対応とか、来場者の対応。お弁当はどうするかとか、椅子はいくつ居るかというような具体的な作業もある。
ところが、新代表の考えで24回展から事務局が複数態勢で進むことになった。その為に直接的には私が動くことは無くなり、事務所がすべてを進めてくれている。楽をさせて貰った。しかし、今日から始まるもろもろの仕事については、いろいろやることがあると思う。
こういう都美術館での展覧会準備ももう40年やっていることになる。一年に一回とはいえ、40年やっているとさすがにだいたいのことは覚えている。よくもまあ40年かと思う。それでも始まる前は変わりなく緊張するものだ。
絵のことがある。自分の絵がまな板の上に乗るのである。40年経験したとしても、初めての時と変わらず落ち着かないものだ。水彩人の仲間に絵を見てもらえるという事は、やはりこの機会を除いてない。この一年の自分の制作が問われることになる。
9月10日が水彩人展の初日で9時30分が開展だ。9月17日が最終日で2時までだ。この間は上野に泊まり、都美術館に通う予定だ。常に会場にいなければいけないという訳ではないのだが、いつも展覧会の間は会場に詰めていることにしている。
それが絵を学ぶことにもなると考えている。何百点の水彩画の中に自分の絵が置かれているという状況はまたとない機会だと考えている。あらゆる角度から自分の絵を考え直してみる。何時もそれなりの成果があり、これから絵を描く上で大切な時間になっている。
確かに絵は一人で描いているものだが、一人では成長できないものである。人間は一人で生きているわけだが、一人で人間になる訳ではない。人は人と接することで、人に成ってゆく。社会の中で人間になる。絵も全く同じだ。良い仲間がいなければ、まともな絵になることはないと考えている。
良い仲間を探すために水彩人を始めた。水彩連盟から始まり、水彩人を今やっている。水彩人展が24回という事はもう水彩連盟よりも長くなったという事になる。水彩人を始めて良かった。ここでは絵のことが充分に話せる。本音で絵のことも批評してくれる仲間がいる。
考えてみれば24年前と同じ仲間が残って続けている。10回はやろうという事で始めたものが、いつの間にか24回である。間違った選択ではなかった。本気で絵のことを話せる場を作ろうということで始まり、今もその精神は変わらず続いている。
他のことはどうなろうと、そういう真剣な絵の切磋する場がなければ、絵を描いてゆくという迷いに満ちた行為は、つまらないところで凝り固まる。だから偉くなった人の絵は成長が止まる。褒められてダメになるものなのだ。何でも言いやすい人間にならなければだめだ。
今日は水彩人で審査を受けようという人も全国から絵を搬入してくれる。例年だと100名前後である。昨年もそうだったが、コロナで行動が制限されている。さすがに出品者は減るだろうが、それでも昨年のような年でも初めて絵を出してくれた人が何人もいた。
水彩人展では初めての人も、24回目の私も何も変わりはない。絵を前にして同じ立場である。絵を前にして互いの絵のことを話したいと思う。そういうまたとない機会の場を作るために、水彩人を立ち上げたのだ。水彩人そういう人を求めている。
その点他の公募団体展とは全く違う。偉い先生など一人もいない。もし偉そうな態度の人がいたら、言ってほしい。必ず態度を改めるようにしてもらう。絵に真摯な気持ちで集まって始めた互評会なのだ。しかし、時間が経過して忘れたり、知らなかったという人もいるかもしれない。
小田原を5時ごろには出るつもりだ。道が空いて居れば2時間で着く。混んでいれば、4時間かかることもある。9時15分から展覧会の準備が始まるから、5時に出ればまず大丈夫である。例年のことなので、様子は分かっている。早くついて、大抵は朝ごはんを食べてゆっくりしている。
いよいよ時間が迫ってきて、自分の絵のことを考えている。昨日額装をしながら思ったのだ。明るくなったような気がした。額には以前それなりに良かったと思った絵が入れてあった。それと較べてみての感想である。その絵は震災後1年経った頃の絵だ。あの頃の辛さが得て出ている。一年絵がかけなくて、やっと描いた絵だ。
その絵を再出発の絵として、小田原の家に飾っておいた。それを今回外して石垣島で最近描いた絵に変えた。良くなったとまでは言えない訳だが、変わったことだけは確かだ。絵は変わった。悪い方向ではないように見えた。さてこれがみんなの前でそういえるのかどうか。緊張する。
絵がいくらか明るくなり、陽気になった気がする。これは一枚の絵の人に言われた言葉が影響しているかもしれない。ある時の一言がずーと心の中に残ることがある。その時は明るくなったと言われたのだが、もうひとつピンとこなかった。気が付いて居なかったのだ。
それで石垣で描いているときに、そうか明るくなったのかとその言葉を思いだしたのだ。そうかもしれないと改めて思った。そこで意識したことが、わずかづつ絵に浸透していったかもしれない。自覚があったわけではないが、今回額装して何となくそんなことを感じた。
もし明るくなっていれば、悪いことではない。明るい気持ちでのぼたん農園を作っている。前向きな気持ちが絵に反映していれば、暮らしている実相が絵に現れてきたという事になる。あの原発事故後の絵と較べて改めてそういう事かと思った。