漁業のために植樹をする。

   



 パフィオぺデュラム ニビューム 良い花が咲いてくれた。二輪咲いた。昔は咲かすことが出来なかった。石垣では駐車場の隅で咲いている。無肥料、無農薬である。

岩手県洋野町で14日、漁師ら約100人が山で広葉樹の苗を植樹した。豊富な滋養分を含む水が山から海に流れ込むことで、身入りの良いおいしいウニがとれる環境になるという。植樹は15年前から続き、木の総数は2万2千本になった。 ーー朝日新聞

 「森は海の恋人」宮城県気仙沼で始まった活動がある。牡蠣養殖をされている畠山さんという方が1989年に始めたものだ。ブナ、ミズナラ、ウリハダカエデなど、を植え、そこを「かきの森」と名づけた。海を守るためには山が豊かにならなければならない。

 全国に広がっている活動である。日本は森林の国である。日本の森林面積は約2500万ヘクタールで、日本の国土(こくど)の67%、3分の2が森林。 森林の割合が多い県は1位は北海道554万ヘクタール、2位岩手県117万ヘクタール、3位長野県107万ヘクタール。 

 日本は世界的に見ても森林国なのだ。しかし、地方から人がいなくなり、その森が荒れてきている。特に植林された針葉樹の森は人間が管理することが無くなると、荒れ始める。戦後の造林運動で日本の森はある意味豊かになった。

 ところが、林業の経営が難しくなり、中山間地から人がいなくなり、集落の放棄が進んでいる。その傾向は改善されること無く、年々深刻になっている。それは農業の後退以上に問題が切羽詰まっている。日本の里山は手入れが行き届かなくなっている。

 政府も地方再生を行うと何度も政策として発表しているが、成果は上がらない。現実は一年経てば、山間地に暮らす人の平均年齢は1年お年寄りになる。働いている農業者の平均年齢が七〇歳と言われている。働くことも出来ない方も多いと想像できる。山間地の維持の限界が近づいていると考えざる得ない。

 農業全体についてもそうだが、自給率を何とか上げようという政策も政府は掲げている。しかし、実際には自給率は下がり続けている。これは地方の問題と重なっている。つまり、冒頭の漁業者が植林を続けるというような、政府に頼らない地道な活動しか、状況は変わらないのだと思う。

 石垣島は幸いなことに過去最大の5万人の人口が維持されている。日本全体の人口減少の傾向からすると、画期的なことと考えて良いのだろう。離島というマイナス条件が、離島観光という経済によって逆転が起きている。石垣島の南国としての文化と自然の魅力が特別だから起きたことに違いない。

 移住者として石垣島に2018年に来た。4年が経過して今は石垣島で3.6ヘクタールののぼたん農園を始めている。石垣島では田んぼはやらないつもりだったのだが、人との出会いがあり、最後の仕事として「のぼたん農園」に取り組むことにした。

 日本の暮らしを諦める訳には行かないという思いである。地方の人間の暮らしがギリギリの所に来ている。地方に暮らす一人一人が自分の力量成りに取り組む以外にないと考えている。小田原でやっているあしがら農の会の活動が、石垣島でも成り立つのかと言う挑戦である。

 市民による食糧の自給活動は全国に生まれているのだと思う。それは山に植林をすることと同じである。農業者が経営が出来ないために守れなくなった農地は、食べる人である市民が守るほか無い。農地が失われてしまうと言うことは日本人の暮らしが成り立たなくなると考えるからだ。

 ささやかなことかも知れないが、一人が始める以外に何も変わらない。人間が生きることを諦める訳にいかない。森を作る活動は地道なものだ。しかし、30年以上が経過してその意味は変わり始めている。農の会の活動も30年が近づいている。

 きっと全国の森を作る活動も楽しいから続いているに違いない。使命感だけでは続かない。のぼたん農園の活動もすこしづつ広がっている。現在、家族とグループで8つの田んぼが決まった。農林高校の田んぼが作れないか、進めている。これが決まると、私が一つを行えば、10すべてが埋まることになる。

 農業は大変な作業だ。一日一日、そして何年も継続する力が必要になる。楽しくなければ続くはずが無い。田んぼをやってみたいという気持ちの人はいる。しかし、地道な根気のいる作業だ。止めたくなって当たり前だ。肉体労働には不慣れな市民である。

 今も鴨がお米を食べに来ている。イノシシも来てお米を食べた。止めたくなるようなことが日々起きる。折角出来たお米が台風で一夜にして失われるかも知れない。それでも諦める訳にいかないのが、自給農業であると思っている。楽しく又始められるだけの楽観が必要である。
 
 地球の未来は希望と言うより悲観である。どうしようも無いことばかりが起こる。例えばマイクロプラステックの海洋汚染を思うと、山に植林を続ける気力が失われるだろう。それでも山の管理を続ける。全国で重圧をはねのける気力を再生している。

 悪い事を考えれば、誰だって絶望しても不思議は無い世界だ。ロシアの侵略戦争を想像すると、世界に未来は無いのかと思える。ウクライナでは春小麦が播かれたのだろうか。麦は育っているのだろうか。何時原爆が落ちるか分からない中で、麦の草取りが出来るのだろうか。

 石垣島はミサイル基地の島になる。日本とアメリカを守るための前線基地の島になる。石垣島の住民には逃げ場も無い。大半の日本人には他人事でしかない。石垣市長は国が決めたことだから、市民は口を挟めないとして、住民の三分の二が請求した住民投票すら拒否している。その市長が最近三選された。

 それでものぼたん農園で草刈りをしなければならない。諦める訳に行かないというのが暮らしである。何故続けられるかと言えば、仲間がいるからである。一人はみんなのために、みんなは一人のために。良い仲間がいれば楽しく頑張ることが出来る。

 何か特別なことが出来るわけでは無い。私は毎日のぼたん農園に行く。鴨やイノシシの番ぐらいには成る。誰かが来た時に、誰もいないよりは良いと思っている。今はのぼたんを見に来る人が毎日いる。新聞に載せてもらえたからだ。有り難いことだ。

 のぼたん農園の活動を一人でも多くの人に知ってもらいたい。そしてこういうものもあった方が良いと思って欲しい。現在、熱帯果樹の苗木を養成している。果樹の森が出来るように、海が豊かになるような農園になるように継続して行きたい。

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