コンピュター革命後の自給農業

日本がこれほど明確な人口減少期に入ったのは、二回目ではないだろうか。一回目は縄文時代の今から7300年前に起きた、鬼界カルデラで起きた海底火山の大噴火の時である。その火山灰は関東地方にまで及んでいて、日本の地層の年代測定の基準になっている。
当時日本の一番の先進地域であったとみられる、南九州を中心とした日本全国に広がっていた縄文人は、絶滅の危機に近いほど減少した。火山灰によって、広範囲に動植物が失われたのだ。その結果採取生活が不可能になり縄文人は減少をして行く。
そこからまた縄文人が1000年もの年月をかけて復活した。そしてもう一度新しい縄文時代を創り上げた。その縄文文化の評価は再認識されてきている。この困難を乗り越え、新しい暮らし方を作り上げた縄文人の底力のようなものが現代日本人にはあるのだろうか。
始まった人口減少期はたぶん鬼界カルデラ大噴火に匹敵するほど、日本人の暮らしかたを、根本から変えて行くものと考えなければ成らない。この人口減少の要因はコンピューター革命によるものと考えることが、一番適切なのではないかと思う。
少子化は、コンピュター産業革命が起きているための人類の防衛本能が働いている為と考えるのが、正しい見方のように思える。もちろんそれだけではない、絡み合った複雑な要素もある。しかし、その根本原因を抑えない限り、人口減少社会での生き方は見つからない気がする。
資本主義を発展させた、蒸気機関による産業革命は人口増加が経済の拡大を作り出すものだった。日本の経済の停滞も、直接的には労働人口の減少が起しているものだ。対応の仕方によって各国違いはあるが、労働人口減少が起こることで、経済成長が緩んで行く。
コンピュター革命が進む社会では、人間より有能な頭脳が存在する社会である。と同時に人間よりも有能な機能を有するロボットが存在する社会である。そして、情報の量と意味が大きくなりすぎている社会である。労働力としての人間の意味が、変ってゆくはずだ。まだその変化は分らないが、蒸気機関よりも、コンピュターは人間の存在する意味を変えるに違いない。
この中存在の意味の変って行く社会の中で、人間はどういう幸福な暮らしを求めて生きるのかである。何が生きる意味になるのかを考える必要があるのではないだろうか。人間は労働力でもない。人間は頭脳でもない。では何が人間が存在する価値になるのか。
今は革命の混乱期であると考えれば良いのだろう。資本主義の末期的な状況の混乱が起きている。人間存在の価値が、お金になっている。すべてを商品化している時代。商品としての価値だけが、宙に浮いたように漂っている。拝金主義の蔓延が人間の生きる意味を見失わせている。
しかし、必ずこの混乱は解決されるはずだ。原爆が落とされるような悲惨なことも起こるかも知れないが、それでもどこかでこの革命の混乱は収まると見て言い。資本主義の末期に起こる競争の激化は、コンピュター革命により第3の道を進むはずだ。
その次の社会の方角が見つかるまでには時間がかかるだろうが、「自給の価値が見直される。」と考えて良いのではないか。私は絵描きに成れないと言うことが分ったときに、精神的に行き詰まった。自給生活に入り、足下から生きる事を立て直そうと考えた。
自給生活を続ける中で、すこしづつ回復し人間の幸せというものは、日々生きる充実の深さなのだと言うことに気付き始めた。 一日を生きると言うことは、意識によって大きく変る。もう一度絵を描きたいと感じるようになったときには、絵を描くという意味が大きく変った。
描くという行為に意識が行くようになった。出来上がった絵の存在が、小さいものになった。どういう絵を描くのかばかりに、とらわれていた自分を抜け出ることが出来た。人の眼を意識して、絵を描くと言う行為の意味を作業としてしか考えられなくなっていたことに気付いた。
それは食糧を自給する喜びは、食料という生産品と言う結果ではなく、むしろ自分が食べるものを作るという充実にあるということに気付いた。ものを作るという喜びは、その行為自体に有る。結果よりも行動の充実こそ、大切になると思えるようになった。
無限の情報量の中で、肉体労働も、知能労働も、コンピュターに置き換わって行く中で、人間は素朴なものを作るという中に、行うことの喜びを見付けるのではないだろうか。その行うことがより深い内容のものであればあるほど、その喜びは深いものになって行く。
絵を描くことの喜びは深いと思う。絵は限りない世界だ。それぞれが、自分にあった奥深い生活行うことが、生きる喜びに繋がる。そして、それを裏付ける暮らしが、自給的な暮らしになるのではないだろうか。食べ物を自給すれば、絵を描くことで生きて行くことが可能な時代が来る。
楽観的にそう空想しているわけだが、コンピュター革命はそうした恩恵を人間に与える可能性がある。従来8時間働いた労働生産性が、一気に1時間で可能になる時代が来る可能性は大きいのではないだろうか。課題の多いことは革命の勃発期だからではないか。
もちろん人類が滅亡するようなリスクが高まっているのも確かなことだ。しかし、より平安な社会が来ると楽観的に見ていたい。そうでなければ、自分の未来を明るい気持ちで考えることが出来なくなる。悪い事は確かに山積みではあるが、前向きに楽観でありたい。
人口が減少するのは悪い事ではない。人間の増加は地球を破綻させるところまで来ている。人類は生命としてその危機を本能的に感じて、人口減少が始まっていると考えて良い。子供の頃には世界の人口爆発が人類を破滅させるとさかんに言われていた。
政府は少子化対策などさかんに主張している。人口減少を悪い事だとするのは、あくまで資本主義の競争に勝つためだけの話だ。人口がせめて8000万人にまで減少すれば、日本は食糧自給国になる。そのくらいが日本列島に暮らせる人口の限界と考えた方が良い。
コンピュター革命後の世界では、自給的一次産業で暮らす人はむしろ増加する可能性がある。そうなれば都市集中も解消される。新しい時代の社会構造が出来あがれば、地方の方が人間らしく生きる事ができるのは、明らかなことになるだろう。