水彩画の制作過程を記録してみた。
100メートルほど有る丘の上から、田んぼを見下ろしている。
石垣島・崎枝の田んぼを描いた4枚の絵がある。なんとなくこのうちの3枚は制作過程が記録してある。残っている写真を並べてみた。丘の向こう側の半島をすべて海にしている。
写真は逆光で撮っているので色が出ていない。
自分なりに見返してみた結論を先に書いておく。絵が描きたいのだ。自分なりの絵が描きたいのだ。この絵のどこに問題があるというようなことも無いわけではない。それよりも、自分が絵を描いていると思えるところはあるのだが、全体で見るとそれこそがちぐはぐになっている。
画面のすべてが自分の絵になってはいない。これが問題だ。ここは絵を描いているなと思えるところはある。自分が理解した結果としての、絵画的な表現になっているという意味だ。
その意味では、次の絵を描くと少し自分の絵を描いているところが広がってくる。たぶんそれは、写しているのではなくなっているというようなことなのだろう。意識的なものでもないのだが。
一枚目の絵
二枚目の絵
三枚目の絵
どの絵も大きさは中盤全紙である。紙はファブリアーノのモルドメイド紙。いつもの紙である。ただこれは新しい紙である。新しいと言っても10年ほど前の紙と思われる。那覇の人から分けて貰った。
二番目の絵と、三番目の絵が制作過程の写真がある。ので乗せる。気がついたことを書いておく。
描き出しである。このあたりまで大体30分から1時間ぐらいで一気に描く。この絵の場合は下書きの色は、コバルトブルーとオーレオリンとコバルトバイオレットを混合した色。混合具合をすこしづつ変えている。
筆は穂先の長さが6センチある羊毛の柔らかい筆。自由がきかないところがいい。
すこしづつ色を置いて行く、色はかなり薄め。筆はコリンスキーの一番太い筆。
ここで重要なことは自由に制作できるような状態を作ることだと思っている。どこにでも進めるような状態を作る出すこと。
じょじょうに色を強くしている。筆は5本のコリンスキーを使い分け出ている。この絵はこの段階で絵が決まってきている。それでこの後融通が利かなくなった。
色は調子が破綻するように強く入れる。なじむように進めると絵がなめてしまい気力がなくなる。この段階では調和よりも不調和を意識して作る。見えている物の中で必要な物と、不要な物をそうしてより分けている。
ここまででで一日目終わる。
翌日一日かけて続きを描く、あれこれ試行錯誤して随分変わった。これが二日目の終わりの状態。納得いかないところがかなりあるが、それを次に生かせればと思って終わる。
三枚目の絵の描き出し。これは油彩筆のコリンスキーで下書きを始める。色は同じような三色混合。絵は立てて描いているが、流れることはない。紙目が荒いので流れない。
やはり油彩のコリンスキー筆で濃度の濃い色を置いて行く。今度は余り面で入れないで筆触を大事にしておいて行く。できあがりで色が落ち着くぐらいの濃度を最初から入れて行く。
二枚目の絵とやり方が違っているが、それほど考えがあってと言うことではない。なんとなくそうなったに過ぎない。
強い色を置いた後に面を塗り始めている。なんとなく塗り絵のようである。筆は水彩のコリンスキー筆を5本並べて色事に使い分けている赤っぽい最初の調子が緑に変わって行く。
割合順調に進む。午前中終わり。やはり同じところで四枚目になるので、かなり繪の構成が分かってきている。いる物といらない物も無意識に判断している。
午後会して1時間ほど描いたところ。もう一息で難しくなる。きれいなところをどう抑えて行くか。かなり苦しい作業になる。
一日目の終わり。この後どうなるかはまだ分からない。
この絵はこのままにして、次の四枚目に取りかかった。いつもこんな調子だから、いつになっても完成と言うことがない。
パレットの状態。絵の具は。12色ぐらい。筆は油彩画用のコリンスキー筆。柄が長いところが良い。
絵を描く体制に入ったところ。
この色で始める。コバルトブルー。コバルトバイオレット。オーレオリンの三色を混合している。
調子をある程度付けながら、全体に配置が終わったところ。この場所で同じ構図の絵を四枚目なので、描く前から入れる範囲は決まっていた。30分ぐらいか。
強くなる緑から青の木々を入れて行く。この後自由な変化が可能になるようなつもりで進める。
大体色を入れ終わったところ。ここで一日目は終わる。持って帰って眺めていて少し方向が見える。
二日目を始めたところ、結構調子よく進む。この後自由に変化できるようにと決めないで進める。
周辺を進めて、中央の田んぼをどうするかを考えているところ。
ここで二日目終わる。もう少し描けるのだが、今回はまだ先があるところで家に持ち帰り、他の三枚と並べて考えてみようとしている。
今日もう一度描きに行くつもりだ。しばらく眺めていて、この後描くことが見えてきた気がしている。どんなになるのか自分でも楽しみである。