首里城再建は集積材がいい。
首里城の火災消失はやはり、沖縄と小田原では温度差がある。沖縄では象徴を失った喪失感が漂っていた。それはテレビや新聞の影響なのだろう。報道の社会に与えている影響を感じる所だ。
首里城の再建のための材木、瓦、漆などの資材が問題になっている。檜の無垢にこだわる必要など全くない。瓦も焼け跡からできるだけ集めるべきだ。そして、使えるものはできる限り使うべきだろう。燃えた記憶として、使えるものは一部に使う事も意味あることだ。
檜でなく、たくさんある材料で十分である。前回台湾の好意で特別に台湾檜を提供してくれたという。現状台湾では伐採が禁止されている。台湾でも大きな檜はもうないらしい。そういう貴重な自然を破壊してまで、作る意味はない。
本来はイヌ槙で作っていたらしい。しかしそんな大きなものがあるはずもない。最初に建造されたときは沖縄にある樹木で作ったという事だろう。大径木であれば何でも使ったはずだ。檜へのこだわりなどあるはずもない。
どうも日本人の中に、木造建築と言うと檜信仰があるように思われる。伝統工法が過去の復元に偏っていないか。本来の伝統とはその時代にあるものを上手く使えばいいはずである。復元だけになれば、未来がない。極端に言えば、集積材でかまわないと考える。
材木でも、瓦粘土でも資源は有限である。自然破壊をして平和の城を作るなど論外である。さすがに、鉄筋コンクリート造りでは味気ないが、集成材ぐらいまでならかまわないと思う。ここはぜひ議論をしてもらいたいところだ。
あえて首里城再建では集積材を使う事で、今後の自然環境保護と伝統建築との調和を模索したらどうだろうか。こだわりは原理主義に陥る。その時代その時代の合理性を求めればいいのではないだろうか。
今時、ヒノキの柱でなければならないは成金趣味である。そういう見栄のような要素は極力排除した方がいい。杉ならあるのであれば、杉でいいではないか。しかし、それも太い杉が植林としてあればのことである。今や、大木は切らないで残してゆくべきものになっている。
成金趣味が、大切な神社の大木に穴を空けて、除草剤を注入し枯らしてしまうような犯罪を誘発している。枯れれば材として出すしかないからである。
南足柄にも大雄山の大杉の林がある。これを切れば、使えるだろう。しかし、切ってはならない。今や残すべき文化財としての価値がある。それは屋久杉でもそうだろう。経済林として、存在する物であれば、それは切るべきである。そうでないのであれば、守るべきものになっているのではないか。
林業が成立する形があり、そこから大径木が出荷される。自然破壊をしてまで、作る文化財の修復は良くない。それでは平和の城の意味が危うくなる。
首里城にふさわしい再建は集積材だと思う。どのみち、無垢材をむき出しで使う訳でもない。完全漆塗りである。首里城の平和の城としての意味合いには、集積材の方がふさわしいはずである。どうだろうか。ぜひ議論してもらいたい。
首里城の再建には赤瓦の問題もあるらしい。赤瓦の生産者がこの間減ってしまったらしい。赤瓦の家が無くなってきているのだから当然のことだろう。粘土はまだある。赤瓦の製造はそれほど難しい技術ではないはずだ。本土の瓦職人も減少しているとはいえ、まだかなり存在する。こういう人に来てもらえば、すぐに生産できるはずだ。この機会に沖縄の赤瓦の製造技術を一般化しておくことも意味があるだろう。
漆も日本にはないらしい。これも前回も中国からの輸入らしいが、今回も輸入すればあるのだから、これを充てるほかないだろう。漆の植林の方を考えなければ、これも後がつづかない。日本の経済が、目先のことに追われて長期的なものは消えてしまった。中国には何故残っているのか。中国を軽んずるばかりで、実像を見ていない。
私としては、あの色がどうも違う印象を受けていた。研究して再現したというが、少し橙色に偏っているように見受けた。記憶だけのことだからこの点は何とも言えないが、もう少し朱色を強くすべきではないか。
どのみち漆は変色してゆく。ペンキにしろとはさすがに言わないが、色に関してはもう少し朱色を強くすべきではないかと思った。その方が美しいという感覚である。沖縄の漆の色があの色という事なのかもしれないが、沖縄の青空に生える色と言うともう少し違うかと思えた。
再建に際して、平和の城としての機能をさらに高めるべきだ。礼樂の側面である。外交使節を迎える場であった。明治政府の赤坂の迎賓館や鹿鳴館のような側面である。首里王朝が優れた文化国家であることを示す場であったのだろう。
燃えてしまった首里城でも同様の機能はあったのだが、この側面をもう少し演出してもいいのではないだろうか。観光という側面からも、外交使節歓迎レセプションの定期上演が出来るようにする。毎日1時には行われるという位にしていい気がする。ロンドンの衛兵交代が観光名物になっているような意味がある。
首里城のもう一つの機能は平安と豊作と豊漁の祈りの場である。御嶽としての祈りの場である。神の島、久高島が見える方角に祈りの場があった。久高島の司と首里王朝の司は大切なものだったのだろう。
沖縄全体で御嶽が危機的状況にある。踏み入ってはならない神聖な場であるが、同時に維持するためにはその信仰も存在しなければならない。しかし、そうした信仰は徐々に薄れてきている。どういう形で、御嶽を残すか、この一つの事例を首里城で示してもらう事は出来ないものであろうか。
沖縄の神の在り方、神との関係は日本人の原点を残している。古い時代の日本人の信仰の原型があるのだと思う。御嶽は何もない場らしい。火を燃やす場所があるくらいらしい。神と交信するためには、何か宿る社のようなものはいらない。形を必要とするという事がすでに、形骸化しているという事なのだろう。
沖縄は日本のスイスになる。その為には観光が重要な柱になるだろう。スイスが様々な国際会議の舞台になってきたように、沖縄がアジアの交流拠点になればいい。平和の島沖縄の為の首里城である。