石垣の自衛隊基地は建設が進んでいる。
石垣の自衛隊基地は住民投票が拒否されたまま、工事は進んでいる。まさに権力の横暴である。民主主義の無視である。住民投票をやれば反対が明らかに多いことを誰もが知っている。住民の反対を明確にしたくないから投票を拒否する、市長や推進議員は住民の意思を無視する民主主義を捨てた人たちだ。
すべての事案について、住民投票をすべきというのでは無い。住民の暮らしに大きな影響があり、生活が脅かされるかもしれない問題に関しては、その判断について住民の意思は確認されるべきだ。それが民主主義国家における、住民投票の権利である。
自衛隊基地に関しては、石垣市民にとって小さな問題では無い。観光を島の中心産業として順調に発展をしている島である。東アジアの良い位置に存在する、素晴らしく美しい島である。緑と美ら海のオアシス拠点になり得る島である。この島の安全保障をどう考えるかは、島の住民の意見を聞くべきであろう。
住民投票をやるべきだとした署名捺印をした住民の数は3分の1である。これはおろそかにして良い数では無い。ところがこの数で、市長も、推進派の議員も驚いてしまったのだ。これほど反対が多いとは考えていなかった節がある。
こうした状況下私有地の自衛隊基地への等価交換案が出てきた。旧飛行場跡地国有地と自衛隊基地予定地の等価交換である。実に自衛隊推進の人たちは姑息に巧みである。抜け道を見つけることが旨い。
現状では自衛隊基地予定地にある市有地を国に販売しなければならない。市有地の販売に関しては、当然また意見が二分される。自衛隊基地の誘致に関しては何の歯止めが無かったが、市有地の販売の是非は市民が判断すべき事だ。そこで、等価交換という方式で、波風立てずに進めてしまおうというのだ。
旧飛行場跡地は軍隊に翻弄された歴史のある場所だ。戦時中、石垣島には三つの陸海軍の飛行場があった。旧石垣飛行場になった場所、平得飛行場の用地は、沖縄戦が始まる前の一九四三年夏に接収された。それまでは農地だった場所である。日本軍によって強制収容された農地だ。
平得飛行場用地は戦後も国有地のままで、地主らは1952年ごろから、沖縄を統治していた米国民政府と賃貸借契約を結び、借地料を払って耕作しながら土地の返還を求めてきた場所である。
1987年になって石垣空港のあった北東滑走路部分を除く、接収され国有地になった約37ヘクタールは耕作者らに払い下げられた。その後石垣飛行場が移転して跡地となった国有地は今も、元地主の下に返っていなかった。
ここの国有地を自衛隊基地を作るために等価交換しようと市長は答弁している。またまた、軍による強制収容である。本来であれば、農地として旧地主に変換されるべきものだろう。
自衛隊基地が現在建設されている場所は、沖縄本島の住民や、石垣住民が軍隊によって強制移住させられた場所である。マラリアの多発地区であったために、住民がマラリアで大数亡くなられた。日本軍の軍命で避難した住民がマラリアで大量に死亡した地でもある。
その於茂登岳山麓で、ミサイル基地部隊を擁する陸自駐屯地の工事が強行されている。これは米軍との共同利用が予定されていると見なければならない。トランプの主張する片務的安保条約の解消である。
戦後の沖縄本島からの計画移民に応募し、於茂登岳の麓に開拓を始めた人々は、米軍に土地を収用されて生活の場を失い、石垣への移民を選ぶしかなかった。国策に翻弄(ほんろう)されてきた被害者でもある。開拓の苦闘の中で、石垣島の生産を支えてきた農民である。
希望者が自力で移住する「自由移民」と一定の優遇措置で募集する「計画移民」があった。「計画移民」は戦前にも石垣島や西表島の一部で行われたが、本格化したのは52年以降。石垣島には57年までに3000人前後が入植し、農業を中心とする島の経済発展を支えた。
於茂登岳の麓地帯はすばらしい農地で、毎日絵を描きに行く場所である。流れ出る石垣の命の水である宮良川が美しい場所だ。ここにまた自衛隊基地を強制的に作っている。何という軍隊の無残な歴史であろうか。
建設予定地周辺の住民はこぞって反対である。しかし、もし住民投票で誘致が決まればそれに従うと言われている。島の住民の分断が起こることの方が良くないというのだ。毅然とした姿勢である。それでも投票を拒否する市長や推進派議員には石垣島を愛する心が無いのだろうか。
繰り返し繰り返し、軍隊という横暴がまかり通る。横暴で無いというのであれば、住民投票は必要である。