天皇報道が誘導する、政治利用。
アベ政権は巧みに天皇を政治利用している。令和の時代に変わり、慶賀の気分が広がった。そのことは喜ばしいことだ。これを安倍政権は政治利用している。今まで大々的には報道されていなかった天皇への総理大臣の内奏を麗々しくテレビに放映させている。これを違法とは言わないが、巧みな天皇の政治利用である。天皇に対して内閣が内奏するなどという事は、どこまでも形式的なことで、本来辞めるべきことだ。少なくとも放映してはならない。これをアベ劇場の一幕に使う演出など、許されることではない。天皇を出来る限り政治から離れてもらう事が、象徴の意味を守るためには必要である。その為には、政権は配慮して出来る限り天皇との関係は見えないように動く必要がある。何故こんな映像を、こんな状況下に放映するのであろうか。目的は天皇の政治利用である。天皇を安倍政権の看板に使ったのだ。これは象徴天皇を日本国に必要なものだと思うのであれば、絶対にやってはいけない事なのだ。天皇は京都で静かに暮らしていただくことが、何よりである。この機会に衆参同一選挙をやってしまえという意見まで出てきた。このままでは危険だ。
令和への代替わりに伴い、盛んに女系天皇の必要性が主張されている。これは天皇という意味を取り違えた考え方だ。天皇の伝統的意味からして反対である。普通の家族としての天皇家という意味なら女系を求めるのは当然であろう。本来の天皇の厳密な意味をから言えばそれは宗教的に無理なことのはずだ。女系がいけないとか、女性に神聖が弱いという事ではない。卑弥呼や巫女のことを考えれば、女性でなければならない役割の意味もある。天皇の神官としての絶対性を失う事になる。天皇家がどのように存続されるとしてもそれは構わない事であるが、男系天皇で無くなるとすれば宗教的に言えば、失われる何かがある。もう何代かで象徴天皇制が終わる時が来ていいのだと思う。それぐらいがちょうどよい潮時になる。側室制度が無くなるのは歴史的に当然のことである。それとともにお家大事の封建制度も消えてゆく。そのぐらいに天皇という存在も、日本人にとって控えめなものになってゆく。そのあたりがちょうど良い加減ではないか。象徴ではなくなり、ふつうの天皇家になり、それなりの特別な家として継続してもらえばそれはそれでいいと思う。中国には孔子の子孫という家があるらしい。しかし、考えてみれば、どこの誰であろうと、全く同じである。必ず天照大神までさかのぼる先祖は居る。私もアフリカまでさかのぼれるはずだ。
象徴天皇とアベ政権は何の関係もない。きっぱりと意識してそうしなければ、危険である。明治革命政権は自己の正当性の為に、錦の御旗を掲げたのだ。それが明治維新という、日本帝国主義につながった。日本の歴史にとって明治時代ほど悪い時代はなかった。もちろん日本の問題というだけでなく、世界史的問題ではあるが。そのことを明確に認識する必要がある。そのまま太平洋戦争の敗戦に繋がっている。江戸幕府は巧みに天皇家を政治から遠ざけた。ところが、何やらアベ政権は天皇との結びつきを利用し始めている。世間では令和おじさんとして、官房長官が持ち上げられている。令和の文字を掲げた映像が度々流れるからである。申し訳ないが、平成の発表文字の方が、令和の文字より良い字であった。令の字の縦棒の止め方がどうも気になる。その上に筆の入り方に意識が強すぎる。平成の字は書としても立派なものであった。テレビの影響というものは実に怖いものだ。いつの間にか、官房長官の評判まで上がってしまった。こういうことは予測されたことだ。もし政府が賢明で、知恵のあるものであれば、こういう事態は避けられた。ところが、政府は避けるどころか、巧みな利用を始めている。その一連の流れが総理大臣の内奏を麗々しくテレビ報道させることだ。まるで安倍氏が天皇と関係があるかのような映像である。内閣総理大臣と天皇は何の関係もない。そういう事にしようというのが、象徴天皇に対する知恵なのではなかったか。
天皇家は稲作の先進技術を持った人々だったのではないか。水土技術者の一族である。水土技術という先進技術が呪術性と結びつく。中国から、そうした先進技術をいち早く取り入れて、日本全土に広げた。それが日本の国づくりになったために、その存在を高めたのではないだろうか。食糧生産を支え、産業革命を先導した技術者である。当時の技術は呪術的な意味合いも強く。それが伊勢神宮の信仰にもつながってゆく。私のおじいさんは僧侶でありながらも、伊勢暦を見ながら種まきの日を決めていた。伊勢暦は農業的な種まき日と宗教的な吉日も示されていたのだろう。陰暦である。あの伊勢暦はどうも、藤垈村の小さなよろづ屋さんのわえさんが呉れたもののような気がする。たぶんそんな形で、日本全国に浸透したのだろう。間接ながら、天皇さんが種まきの日を教えているような形だ。江戸時代には権力とは関係なく、独特の百姓と天皇の関係があったと思われる。もう一度そういうところに戻るべきではないだろうか。