互いに信頼できない隣国
住んでいるお隣さんに疑念の思いを抱くというのは、珍しいことではないだろう。境界争いがあったり、騒音や、臭いで、暮らしの騒動は珍しいことではない。そういう面倒が嫌だから、都会に暮らすという人もいる。しかし、これが国家のお隣となると引っ越しもできないので、何処かで折り合いをつける以外にない。コロナウイルスの病院対応を見れば、韓国の病院は信頼できないと思う。原発事故を思えば日本が信頼できないだろう。日本政府の戦争責任をごまかしてしまおうという対応をみれば、韓国側が日本政府を信頼できないのも当然のことだろう。従軍慰安婦問題ばかりを言いつのるのもどうかと思う。互いに信頼できないという気持ちは、深く歴史に根ざしているのだろう。結局のところ、信頼できないけれどもお隣としてかかわらざるえないということだ。
未来志向での、隣国関係を考えれば、日本の政府は、国立戦没者墓苑を作ることだ。それをやらないで、靖国神社にこだわり続ける姿は、過去の亡霊を呼び覚ます行為に見えるのは当然のことだ。この程度の当たり前のことをやらないで、積極的平和主義とやらでアメリカとの同盟関係を強化する。今さらに法律を作って、にらみをきかそうとしている。このやり方に、日本の国家としての、怪しげなところが彷彿とする。韓国の最大の問題点は、国家の方向に前向きの主体性の無い所だ。韓国は他者批判で、自分の存在を意識する。あれこれに対する不満やふつふつとした怒りが、この国を形作っているようだ。否定的な負のエネルギーがこの国の原動力のようだ。その点を冷静に日本は受け止めなければならない。それを変えろというのではなく、そう考えた上でどうかかわるかである。日本を否定しているというより、あらゆることを否定することで、エネルギーを作り出す民族性と考えた方がいいのではないだろうか。つまり、負けてなるものか。こういう思いが民族の根底に感じられる。
しかし、韓国も豊かになり、段々にハングリー精神を失い。平衡感覚の良い国に、変化して行く可能性が高い。日本が、靖国の亡霊に縁を切るのに時間が掛かるのと同じことだ。未来志向といっても、仲良くなれるという事を考えるより、隣国としての付き合い方を見つける事ではないだろうか。過去はどうでもいいというのではなく。過去を認めて、前向きに行くとすれば、国立戦没者霊園を造ることだ。憲法を大切にして、軍国主義を遠ざけることだ。力の外交ではなく、平和的外交の手段を模索することだ。韓国や中国のほうが、外交的センスに優れている。長年国境を接する国と、どうかかわるかを体験的に身につけている。日本をどう攻め立てればいいかなど、よくわかっている。日本は力で対抗しようという、素朴な方法しか思いつかないようだ。アメリカの威を借りようということになる。しかし、それほどアメリカが頼りになる国とも思えない。アメリカにはきわめて良質な正義と、単純な暴力主義が混在している。やはり外交の下手な国なのだと思う。
ヨーロッパでも、隣国のことはあまりよくは言わない。フランス人はドイツや、イギリスをあまりよくいわなかった。それでも、世界大戦の反省から、EUを作りなんとか平和にやろうとしている。所属国家間の経済格差が、一番大きな問題のようだ。強いドイツだけが得をするような、事になっている。これはTPPも同じことになるはずだ。経済における平等主義というものは、強いものが有利になるのは当たり前のことなのだ。それでも何とかバランスを取ろうとしている。アジアも、いつかはお隣同士戦争にならないような仕組みを作る必要がある。そういう努力こそ、日本国憲法に攻めされる武力を使用しない、平和的努力である。中国を仮想敵国にして、敵対を強めるのはアメリカの戦略に乗せられているだけである。日本はまず、隣国との関係が戦争につながらないように調整しなければならない。