やっと騒ぎになった食品偽装
最近世間で注目を浴びるのが、謝罪である。土下座が相当に問題になっていて、さすがにそういう謝罪はなかった。しかし、どれもこれも世間が騒ぐのは、ことが起きてからの謝罪の姿である。食品偽装などは、どこの誰が気づいてもいい。一般的にあったことだ。公共報道を自称するなら、そいう問題を掘り下げて、告発することが本来の役割である。大島町の失態を責めることは簡単である。むしろ全国で繰り返される、災害に対する対策を、キャーペーンする位の前向きな姿勢こそやるべき報道機関だ。この点では原発事故で日本全体が反省したはずだ。何故、身近な危険に気付かなかったかである。それは国民各自にある責任であるが、特に報道を仕事にする組織は反省をした姿とは思えない。反省は次の事故を防ぐことになって初めて生かされる。謝罪対応よりも、対策が重要だろう。と同時に彼らを責める前に、自分が次に向かって、社会の問題点を事が起こる前に掘り起こす必要があることに、報道は気付かなければならない。
阪急ホテルは食品偽装ではなく、間違えたにすぎないと発表した。典型的な謝罪の悪い例だ。奈良の三笠ホテルの偽装はさらにチャチで、成形肉を和牛として販売して、ミュシュランで星をもらった。ミシュラン等いい加減なもので、グルメが笑わせる。どの場合も一ランク上の食材に間違えているのだ。常に有利に間違えるなどということがある訳がない。後から、両社社長が辞任したがやり方が稚拙な為こう言う責任の取り方になる。食品偽装表示は、厳密にいえば至る所にある。食品偽装でも、中国産ウナギの浜名湖産への変貌は、何度でも登場して懲りない。JAS表示の有機の偽装が国会で取り上げられている。今すぐにおかしい10件の現物を見つけろと言われれば、簡単にやれる自信がある。食べ物は自給が基本だ。それが出来ないなら、目に見える地場の範囲で手に入れるべきものだ。表示ではなく、自分の目で食べ物の安全を見分けられる力がなければならない。食べ物は自己責任だ。
最近は指摘があったのか急に減ったが、中には有機大豆使用などという表記もある。申し訳ないがたいていの場合は、誤表示であろうと勝手に思っている。あるいは誤解を期待する表示であると思っている。JAS認証の有機ということは理解しているつもりだ。そして、JAS認定の有機栽培の実際も見聞きし、実態を知っている方だと思う。結論から書けば、そういう表示など無意味だと思っている。JAS認証は面倒で取れないが、私の野菜の方が良いものだと確信できる。JAS認証とは、やってはいけないことを決めているのであって。結果として良い野菜であるかを決めている訳ではない。消費者行政という位置づけは、徹底はできない範囲のものである。表示を信ずる以外にない。もっと言えば、輸入の信頼できるとする有機認証の野菜と、地場の慣行栽培の野菜と、どちらが身体にいいかといえば、地場のものであると考えている。よく出来た、新鮮な野菜の価値に勝るものはない。ついでに言えば、刻んである野菜など、価値が半減だ。
本当に良い野菜は、化学肥料では出来ない。と言って、有機の不出来な野菜も、あまり価値がない。こういう見た目ではない、野菜の出来の本当の違いには、認証はない。ニンジン嫌いの子供には、昔のニンジンは食べれない。中国からの大気汚染の影響と、福島からの放射能の影響との違いは、どう基準化するのか。チェルノブイリの影響、アフリカのどういう土壌か分からない土地の作物。ブルガリアの有機ジャムの放射能基準越え。消費者が受け身であれば、表示を気にしたところで受け入れる以外にない。消費者は何かを購入して食べない訳にはいかないのだ。少なくとも中心に食べる主食に関しては、栽培している状態を自分の目で見て確認したうえで、購入するぐらいの努力が必要だ。そうすれば同じJAS有機でも全く状況が異なることが分かる。ミュシュランの星に頼るのでなく、自分の目と舌が分る力を持たなくてはならない。