水彩人展始まる
東京都美術館の水彩人展が始まった。今年は画集の制作もあり、事前の作品の撮影に始まり、審査を行い、作品の6つの部屋への割り付けがあり、そして、昨日陳列が行われた。水彩人は水彩の研究会をそのまま大きくしたような手作りの会なので、すべてが同人の合議制に基づいて行われる。その点手間と時間ががかかるし、すべてがとことん丁寧に行なわれる。今回、良くここまでたどり着けたものだと思うほど、大変な作業だった。実際はいつものと同じことが、15回目ということであるのだが、今回ほど大変なことはなかったという実感がある。年をとったということかもしれない。考えてみれば、昨日は批評会まであった。飾り終わった会場で、本人を交えて、作品を出来るだけ率直に話し合った。それぞれ、本気で描いている絵だから、互いに真剣になってしまう。とても大切な水彩人ならではなものだ。自分の絵がどのように見てもらえるかということもあるのだが、仲間の絵についても本気で考えるということは大変なことだ。これが疲れる。
いよいよ、28日にはワークショップがある。とても好評で、昨日申し込み開始と同時に定員まで、残り少なくなってしまった。今年のように、講義中心のワークショップということでは、興味を持ってもらえるか心配だったのだが、人が集まってくれるというのは、ありがたいことだ。昨年の参加者が今年も是非ということで、先着順なので受付開始を待っていて申し込んだということのようだ。昨年は2日あったものが、1日になったので当然かも知れない。私は水彩画論を話させてもらうことになった。水彩画の可能性のようなものを考えている。何故、水彩画が重要になってゆくかである。それは絵画芸術というものが、私的なものになってきたということがある。これには長々と説明が居るが。そして、日本にある、書の表現、水墨の画の伝統、そして日本画。これらのものが融合し、発表を目的として居ない制作となれば、水彩画が最も適合した表現法なのではないかと考えている。このことを整理して考えてみたいという試みだ。
画集もすでに搬入がされたが、とても良い出来である。筆触までわかるような印刷になっている。水彩の印刷はとても難しいものなのだが、良く出来ている。編集からすべてを担当してくれた、大原さんのさすがの仕事だと思う。印刷屋さんの力量も高いのだろう。そういうことになって1冊1800円になったが、これで販売しても、大きく赤字になる。1冊でも多く売れることを願っている。水彩画を勉強している人なら、間違いなく参考になるものだ。メールで申し込んでもらっても送らせてもらう。自画自賛になってしまうが、過去最高のレベルの水彩画の画集だと思う。水彩人の考える水彩画はこの画集を見れば分かってもらえると思う。私の主張する、私的絵画という意味も少し理解してもらえるかもしれない。会場で作品を見てもらう以上に、画集で確認できることがある。
会場の飾り方は、1室から、6室まであるのだが、どの部屋だから良い部屋ということなく飾ろうということが、担当の三橋さんの考えであった。普通の公募展では、1室がゆったりと飾ってあって、他の部屋よりも見せ場になっていたりする。大家部屋というものが、特別に作られていたりする。そういうことを一切排除して、どの部屋を対等に尊重して、陳列するという水彩人らしい試みである。300号もある作品も、8号の作品もある。これも全く対等に飾ろうというのである。見ていただくということを目的とした当たり前の展覧会である。この当たり前が他の公募展では実現されていない。3段にも絵をかけてあり、上の方の絵は反射して見ることすらできない。水彩人が1段掛けで展示をしたら、何と絵が足りないのではないかという人すらいた。公募展というものが、絵を見ていただくという精神をすでに忘れているのかもしれない。今回もここまで全力を尽くしたことは確かだ。是非一人でも多くの方に見ていただきたい。