放射能正義論

   

正義を振りかざした、議論には危ういものが潜んでいる。正義と言う御旗が、批判的論理を寄せ付けないからだ。農業者は今回の放射能汚染では、小田原でも出荷停止を伴う被害を受けた。その賠償すら今だ果たされていない。それに加えて、不安増大した人の心ない正義論に、大きい精神的ダメージを受けている。自称・福島の子供の命を守る人たちだ。気分的に食べたくないとか、自分の子供が放射能の害を受けたらどうしようとかいう、不安の増大、想定上の被害が増幅。横浜市と鎌倉市では、教育委員会が学校給食に8、8ベクレル以下のみかんを給食では使うべきではないと決めた。ヒステリックな子供の命をないがしろにしていいのか、と言う科学を越えた論理がまかり通る。不安感から来る発言が、農業者の良心をさいなむ。

ここで議論は両者の溝を作ったまま終わる。今や、0ベクレルでなければ食べないという人さえいる。しかし、そんな食べ物は地球上にない。もしそう言う根拠のない不安が、これ以上広がれば日本の農業は成立しない。良心のある農業者こそ生産を止める。特に有機農業においては、堆肥の問題がある。堆肥を10アール当たり1トン入れるとして、キロ当たり1000ベクレルの堆肥であった場合でも、土壌は表土だけでもの1キロ当たりのベクレルは1ベクレルも上がらない。これが水の場合、毎日10トンの水を100日使うとして、この水が、0,001ベクレルの場合。土壌への影響はやはり1ベクレル程度の小さなものである。これが1000ベクレル種の場合など、考えるのも馬鹿らしいほど小さなものになる。作物への移行計数から言って、土壌の1ベクレルの上昇など、影響にならない。こういう事をどれだけ説明しても、全くの無駄である。0を求めているし、内部被ばくに科学的な知見はないという思考停止。そして、子供の命の正義。

その為に、公的な活動は放射能委縮をしている。私がこうした文章を書くことすら、止めて欲しいと言われる。風評被害を却って広げるというのだ。静かに、ほとぼりが冷めるのをやり過ごすしかないという訳である。堆肥化の活動など出来ない実害がある。行政も教育委員会もモンスター達を恐れる曖昧な態度は辞めるべきだ。想定外の事故以来、あり得ないことまで想定するようになった。農の会の放射能の測定のメンバーが畑の土壌が、昨年より数値が高くなっている可能性があると、主張していた。今までどこを計ってもそのような結果はない。不安だけで、根拠なく、気軽に発言しているのだと思う。そこで農業をやっている人たちの気持ちを考えてみるべきだ。昨年全く平常値だった畑である。河口の中州のような所ならいざ知らず、今年高くなる要因など間違ってもない。

善意と、正義感から、内部被ばく問題をエキセントリックに騒ぎ立てることは、状況を悪化させるだけだ。放射能については、自分なりのラインを引き、その範囲で喜んで食べるほうがいい。1950年代に育った我々世代は、間違いなく核実験の放射能汚染の影響を受けてきた。色々の記録を調べて見ると、小田原においては福島事故以上の放射能汚染だったことが推測される。今よりひどい環境汚染はそれだけではない、農薬の汚染、排気ガスの大気汚染、そして食品添加物。その為にがんの発生も高まったのだろう。しかし、おおむね生き延びて、寿命を延ばしている。マイナス要因はいつの時代にもある。最悪の想定ばかりしないでも大丈夫だ。今回の福島原発の爆発は、日本人全体の命に影響は与えるだろうが、限定的なものになる。放射能正義論にまどわされず、自分の頭で論理的に考えて、「正しく恐れろ。」と言いたい。

 - Peace Cafe