日本の独立と憲法
憲法記念日にあたり、平和憲法につて考えてみる。日本は独立国として存在する。それは、大変尊く、有難いことである。その独立は憲法によって定められた形である。日本国は、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と前文は結ばれている。憲法9条によって、平和的手段で維持するとしている。軍事力は保持しないと決めている。どこまでもみごとに、理想主義的な憲法である。日本の独立について書いてみる。個人的思想で言えば、「地場・旬・自給」で暮らすことに尽きる。私が独立して生きることなくして、国の独立などない。その具体的方法はこのブログに繰り返し書いている。
狂気のごとくみえる国家に、世界は手を焼いている。すでに、日本へは届く中距離ミサイルは持っている。原爆も今回の実験を経て、ほぼ実用化されるといえる。いつでも日本に向けて打ち込める状態になってきた。丁度標的のように日本海側に点在する、原子力発電所に打ち込まれたら、日本は崩壊するだろう。この脅威をどうやって防ぐのかである。日本が軍事力を高めたとしても、防御の出来る可能性は50%ないだろう。イスラエルとイラン。インドとパキスタン。この先アフリカの新興軍事国家も、核武装となる可能性がある。人類を一気に滅ぼしてしまう巨大な暴力を前に、いかにすれば日本の独立を維持できるのかという問題である。日本も核武装して打ってきたら打ち返してやる。こう宣言したとしても、自暴自棄に到る狂気の国は。聞く耳など持たないかのように見える。その標的としてのリスクが一番高いのがアメリカであろう。世界最強の軍事大国であるのに、むしろ一番狙われている。
この凶暴ともいえる国家を前にして、アメリカほどの軍事力でもってしても、テロ攻撃を防げるとは思えない。アメリカの1万分の1の軍事力でも、アメリカの独立を充分に脅す事が出来るのである。どれだけの暴力を持ってしても、暴力を防ぐことはできない。翻って考えてみれば、日本国憲法以外に平和への道は、空想することすらできない。他に道がないということである。日本の役割は、この平和主義を世界に宣伝することだ。具体的方法とは、自衛隊を災害援助隊にする。大震災で素晴らしい活躍をしてくれた。自衛隊を中心とした活躍を世界の災害に力を発揮する。日本が世界にとって、困った時に手助けしてくれる、有難い国であるという事を伝えて行く。日本人が生活を切りつめ、すべてを投入し災害援助を続ける。確かにそんなことで、狂気に走る軍事国家の暴挙を止められないともいえる。短期の目標と中長期の目標に分けて考えるということである。短期的には、一定の抑止力は必要であるが、長期的にはそれでは世界平和はむしろ遠のくということである。
軍事力を持たない、国際災害援助を続けている日本を攻撃するなど、さすがに許せない。そう言う国際世論を形成する。もう一つの方向は食糧の自給である。北朝鮮に、農業技術の支援をする。北朝鮮が狂気から覚めるためには、食糧の自給できる国になってもらうことだ。世界企業の利益の保持のために、軍事力はあるともいえる。自国の企業の経済競争に奔走する。世界企業の経済的搾取を維持するための軍隊。経済的自立国家への道。食糧自給が世界のどの国でも可能になること。その為の農業技術支援をすること。消費的な資本主義経済から抜け出て、循環型の経済構造を探ること。平和と独立の為に、一人が何からやるかと言えば、段ボールコンポストを始めることである。これが持続できれば、自給農業は大丈夫である。考え方も暴力的でなくなる。一人が変わること。今日からでも出来る独立と平和への道である。改めて各論を書きたい。