農作業で学んでいるもの
「日本人が稲作から離れたことが、日本人の能力低下を招いている。」と書いてきた。この事を具体的に書いてみる。自給的農業をして生きると言うことは、自分が作っている生産物が、命を支える仕事になる。お米がとれなければ食べるものがない。放射能に汚染されてもそれしか食べるお米はない。本気にならざる得ない状況におかれる。現代では、そういう場面はめったにない。逃げることのできない状況の中で生きる。自給稲作は生きる瀬戸際を見ながらの暮らしである。この真剣さは生きることを磨く上でとても大切である。過去の農民の生きてきた姿はまさにこれである。人間はこういう状態で生きると、本気になり修行が出来る。自給農業をするときには、真剣な覚悟で面白みが深まってくる。
山の中での一人の自給農業であったときには、この考えだけで実につじつまが合った。ところが、水田を平地に借りれるという話になった時、農薬を使わないなら、止して欲しいと言われた。田んぼの水で、つながっている地域社会にとって、違うということは迷惑なことである。ところが、その20年前排除された田んぼで、今は耕作をしている。不安があり、異論もあるが、空けておくのも困るのでやらせてみろ。地域の空気が変わってきた。生きている社会である。こうした、調整が年月とともに行われる。水というものでつながっている以上、微調整しながら、みんなの合意でよりマシな方へ進む。不満でも少し我慢の必要なのが社会。江戸時代に入り悪くなった部分は、不満があっても移動できない閉鎖社会になったこと。それ以前は、気に入らなければ農民は逃げてしまう事が普通。士農工商の身分制度は、農民から絞り取る戦略説があるが、悪意のある間違えだ分析。土地を所有する農民は自立していて、社会の根幹をなす身分だった。米本位制では当然のことだ。
農業技術のある農民は、江戸時代以前は自由人である。どこに行っても生きてゆける自立心があった。その地域の何かに不満があれば、農民は離れてしまう。権力と対等に農民が生きた時代があった。封建的権力構造が強く成る過程で、土地に農民を縛り付けられた。これで農民の自由が奪われる。しかし、農民は封建制度の中でも、権力とも微調整しながら、地域社会を作り上げる知恵を育てていた。食べ物を生産している自立の強さに基づく、地域社会の成立。この能力が、日本人の微調整能力を作ったのだと思う。つまり、田んぼをしながら自然を手入れして行く。自然という大きな循環を尊重しながら、それにおりこめる範囲で暮しを立てようとする。この微調整の手入れの工夫が、地域社会の形成にも、物を作る能力にも大いに役立ち、優秀な民族としての日本人が生まれた。稲作から離れた日本人は、封建的価値観に変わる、資本主義経済観念に人間の生き方を求めてはみたものの、人間力の再生産を出来なくなったのではないか。
農作業することで、身体ですべてのものはつくられるということが分かる。一日1時間身体を動かせば、食べ物はすべて出来ると言うことが分かる。そして、地域というものが成立しなければ、自分の自立も出来ないということに気づく。生きる工夫は、毎日の観察に基づくということに気づく。食べ物さえあれば、あとは自分の生命の本質へ向かえる。ここが難しいのだが。少なくとも、金銭の呪縛から離れられる。問題は1日1時間働けるかである。殆どの人に可能だが、やらないしやれない。この農作業を一日1時間やれるかどうか。ここに立ち戻れば日本人は又能力を再生できる。行動しない限り、何事も変わらない。農作業はまさに行動である。自給農業を行うと、自分の無能さ加減をを思い知ることになる。