ごみ発電所の不思議
鹿児島県いちき串木野市は、約10億円で建設したごみ発電施設「市来一般廃棄物利用エネルギーセンター」(停止中)の建物や設備などを最低売却価格1万円で売り出した。20日まで入札者を募っている。 合併前の旧市来町が2004年に国の補助金を受けて建設した。一般ごみと食肉加工場の肉骨粉を混ぜたものを蒸し焼きにして発生したガスを使って発電し、余剰電力を九州電力に売電する計画だった。
ごみ発電の典型的な事例である。ごみ発電の効率の悪さは既に証明済みだ。施設建設自体の受注が大企業の目的に成っている。市民にはエコ事業と言う甘言を弄し、天下りの受け皿として第3セクターを作り、賄賂や収賄事件の温床になっている。だから、ごみ処理では新しい手法は極力避けることが賢い選択である。確かにごみ処理を経済の合理性で行うという発想は大切である。
そうした事例として、言われている白井グループがある。
私たちが「常識」だと思い込んでいるゴミの分別は、世界から見ると「ガラパゴス」らしい。実はゴミ処理にかかるコストの70%は物流で、ゴミを細かく分別すればするほど専用の収集車が必要となり、人件費や時間が増える。まとめて集めてプロが後で分別した方が効率的なのだ。ペットボトルのキャップなどはリサイクル業者に売って100円ほどにしかならないものを、700円の物流費をかけて集めるという、何のためのリサイクルなのか分からないケースも多々あるようである。
いかにも筋が通っている様に良く言われる例だ。ペットボトルは焼却した方が経済合理性があると言う主張。確かにペットボトルを回収洗浄し、リサイクルする費用は燃やしてしまうことに比べればはるかに安い。安いどころか助燃材に利用すれば、プラスが出る。しかも業者の仕事は増える仕組みだ。東京都などはこの上っ面の合理性を採用した。ごみのリサイクルは経済の分からないごみオタクの考え方だ。残念ながらまやかしの論理の、この主張の方に勢いがある。ペットボトルを使い捨てにしている問題点を無視している。使い捨てペットボトルの存在が良くないのだ。ペットボトルもリターナブルにすべきだ。一方通行無製品は極力減らすなければならない。この肝心なところを無視して物流経費からだけ見て、燃やせばいいでは地球は行き詰まる。
ごみ処理大型機械を売り込む企業は、ダイオキシン対策とか、生ごみのメタン化。ごみ発電システム。燃料化システム。様々耳触りのいいことを売り込んでくる。市民の健康のためとか、循環型のエコシステムなど、エネルギーの節約。売り込みには上手い事を言う。しかし、実際に使うとごみ処理費が膨らんでゆくことになることの方が多い。後のことは製造メーカーや建設企業はどうでもいい。すでにやっている所を鋭く調べる。新しい処理法は取り入れない。長年使われていて、これなら一定評価がある。そういうものを取り入れる。今、放射能の除染ビジネスがまさにこのやり方である。ゼネコンが受注しようと血眼である。どうせ下請けにやらせるつもりだ。税金を使える世論を作り上げようとしている。除染が無理なところは、はっきり住めない地域を決めるしかない。住めない地域を除染すれば何とかなるようなごまかしは、お金の無駄遣いになる。
ごみ処理業者の見ている社会は、今の無駄使い社会が前提である。製造業の収益優先の生産体制を変えられないと考えている。市民はごみ出しで、でたらめしかしないものと決めてしまう。その前提で一番安い処理法は何かを、合理的に主張する。環境事業の上っ面をなぜる人たちは、この論理にころっとだまされる。国際競争力を高める為に、使い捨ての製品を作る経済社会。「社会がどこに向かうべきか」の議論を前提にしなければならない。その上で変えなければいけない仕組みは、何としても変える。循環する社会を目指さなければ、人間社会が終わってしまうことに気づく。この社会の現状を認めてしまえば、地球は必ず行き詰まる。昨日の生ごみサロンも100名を越える人が集まった。段ボールコンポスト一つは、実にささやかなことだが、暮らしが変われば、世界が動く。