神奈川県の震災廃棄物の受け入れ
どの地域でも震災廃棄物の受け入れば、当然のことである。やらなければならない。。黒岩知事は宮古市のがれきの搬出を視察に行ったという。一日も早く引き受けて欲しいと考える。被災地の現状を考えれば、必要な協力である。同じ日本人としてこの困難を生きている以上、出来る限り分担をしたい。放射能に関する不安がある。政府が、県が騙すだろうということである。1キロ100ベクレル以下という条件で受け入れると言う。それでも危険だから、受け入れたら神奈川県を出て行くと、抗議をした人の発言が、耳に残っている。神奈川県の全域の土壌の表土は、その程度の汚染はしている。その状態を安全と主張する訳ではない。現状を認識すれば、どうにもならないことであることが分かる。辛いことであるが、その辛さを分かち合う以外、この苦難は乗り越えられない。市民サイドに監視と測定の自由を確保すること。違反が判明した時には、黒岩知事の退職を約束させればいい。
放射能はどこに置いておくにしろ、当分なくなる訳ではない。うまく対応するしかない。神奈川県でも、表土100ベクレルの状態の中で上手く対応することである。放射能リスクを主張する人は、どれほどわずかであれ、存在することが不安になっている。それは電磁波や環境をかく乱する化学物質への不安などと、共通の感触である。科学的事実がどこにあるかではなく、得体の知れない、それゆえに根拠のない不安と言うものが根底に横たわっている。言い方に問題があるが社会的ヤマイ現象と受け止めた方がいい。不安を持つ人を責めてはならない。不安と言うものは少ないからそれで解決とはいかない。全体0にならない限り、解消されない。卵を販売しているが、絶対の安全でもないし、美味しくもない。こう言い続けた。つまり、お墨付きが欲しい心理を拒絶してきた。すべてのものはかならず危険は持っており、美味しいはそれぞれのものだ。
むしろ深刻なものは、足元の神奈川県でも発生している焼却灰の方だ。小田原の焼却灰も2度測定している。飛灰については1000ベクレルを越えている。下水汚泥焼却灰についても似たような数値の値である。相模川流域の方が、酒匂川流域より幾らか高かったが、徐々に同じ程度になりながら日に日に減じている。有難いことである。少し希望が見えて来る。しかし、この灰は地域によって8000ベクレル以下と言うことで、他県に持ち出され処理されている可能性がある。又、セメント材料になっているかもしれない。そうでなければいいのだが。実は最近測定した、今年の久野川上流部の落ち葉の測定値は、50ベクレル程度である。不安を持つのは当然必要なことだが、神奈川の現状も正確に把握すること。自分で費用を掛けて測定する他ない。この点行政が十分には義務を果たしていないために、信頼関係が出来ていない。それががれき処理の受け入れの拒絶反応に繋がっている。
100ベクレル以下のがれきは、被災地と苦難を分かち合う社会を目指すという精神で、約束を破った時には、原状復帰と、知事の辞任の約束の前提のもとに受け入れる。安全だと言うのでなく、「一定危険ではあるが、共に生きて行くためには、受け入れざる得ない」という考えである。そして、神奈川県が今やるべきことは、神奈川県の現状を正確に測定することである。それを通して県行政の信頼を回復すること。神奈川県のお米の測定については、放射能が出る可能性が一番低い所を、2か所を測定して、全県のお米を不検出にした。焼却炉の灰は2回の測定だけである。これをもっと頻繁にやる。現状の市民の納得できる測定をする。数値の把握の上に、放射能への対応策考えなくてはならない。宮古市より神奈川県の方が放射能が少ないなど、言いきれないのが現状である。