除草下駄とアイガモン

   

除草の道具を購入した。2種類である。除草下駄くさとり君とすいすいカッタ―「アイガモン」と言う刈払機の先端に付ける器具である。これで、ころがし、チェーン除草機、と4種の草対策の道具がそろった。草取りばかりやっているから、ついつい欲しくなるのだ。格別のものがあるとは思わない。どれもこれもそれなりのもので、適合する田んぼとそぐわない田んぼがあるだけだろう。アイガモンは草刈り機に取り付けるタイプである。この発想が良い。蓮生寺の下の方の田んぼで、農家の方が使っていた。思わずケイトラを止めてしばらく眺めていたら、ぐんぐん田んぼの中を歩き回っている。結構伸びていた草がきれいになって行く。これはなかなかのものだと思い、機械を止めたので使い勝手を聞いてしまった。「実用に成る。」ということである。大きな草でも何とかなるというのだ。稲の状態を見ても、なかなかの農家の方だ。代かきの様子や田んぼの並び方。生育の状態しっかりしている。この田んぼは水が入らないので、草が生えてしまうと少しがっかりして言われた。

農の会では、草対策が課題である。草が生えている所が農の会の田んぼだ。と言われた時代があった。このイメージの払しょくはまだ終わっていない。先日も偉い草が生えた田んぼを農の会の田んぼと決め込んだ人に、あんな田んぼじゃまずいよとお説教を食らった。確かにまだ草のある田んぼはある。このアイガモンの出番である。あえて有機農業をやるものは、地域の平均収量を越えること。草は地域の農家より出さない。これが基本だと思う。少なくともその努力はしなくてはならない。努力をする覚悟があるものが、普通でない農業に取り組める。農の会では全く意識していないが、有機農業をするということが、慣行農法をする人に対する批判的な行為として受け取られる。だから草でも出そうものなら、努力もせず周りのものに迷惑をかける輩となる。草の種は他所の田んぼにも入る。農家の当然の目である。

田んぼ下駄は上手く使えない。少しこつがいるもののようだ。ユーチューブを見ると、浅い田んぼでの作業が出ている。深い田んぼではやりにくいと言うことかもしれない。「生命農法」を書いた高橋さんと一緒に中国に行ったとき、彼はお土産として、わざわざ除草下駄を持参して、その効果を吹聴していた。そこまでするのだからきっといいところはあるのだろうが、今のところ全く使えない。どう使うのか不思議な位である。一度他の田んぼで使ってみたい。それで、今度は、アイガモンである。草刈り機の先に大きなスリッパを付けたような形である。その中がミキサーのように刃が回っている。それで草を粉々にしてしまうという訳である。刈払機は少し大きめの25cc以上のものが良いらしい。気に成るのは音である。早朝から刈払機の音を立ててよいかどうか。しかし、草を刈るのは朝が良い。まだ涼しい内と言うのもあるし、草がシャキッとしていて、刈りやすい。

田んぼの草は面白い。草は土の情報を伝えてくれている。草が出ないからいいというものでもない。草が出てきて、ああ良くなる前兆だなと思う。草が出るようになりやがて草が暴れないようになる。草が出て土がやっとできてきたということに成る。自然農法では「田んぼの草が教えてくれる土の状態」という冊子がある。簡潔に整理されているが、実際の田んぼの複雑さは取り込めてはいない。田んぼの有機質や腐植の量とその性質。減水深の大きさ。連動して総合的に考える必要がある。コナギが増えて来るということは土が豊かになる一つの方向ではある。トロトロ層の意味とも関連させて考えなければならない。トロトロ層については改めて書きたい。雑草と言うものが、そもそも稲が良くなる土壌状態の所に出て来るに決まっている。草がわざわざそうでない状態を選ぶ訳もない。田植え移植によって、草とのわずかな間隙で抑草するということである。

昨日の自給作業:コロガシ1時間 累計:31時間

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