瀬戸屋敷の廃止

   

農の会でもときどき使わせていただいている施設に瀬戸屋敷という江戸時代の大庄屋の屋敷がある。開成町という小さな町で維持管理している。瀬戸家の末裔の方が、土地屋敷すべてを開成町に寄付したことから始まったものである。確か補助金もかなり使って,今のように外部の者も使えるような施設にしたと思う。近くには尊徳記念館もあるので、二宮尊徳の生家が残っている。こちらは江戸時代末期の中農の家であろう。もう少し下の普通の農家の家というものは、すでに残っていない。本来は普通の江戸時代の農家の全貌こそ残すべきものである。暮らしの可能性がそこにはある。瀬戸屋敷は壮大なものである。足柄平野で一番の庄屋の家であった。家の中に水が引かれていて、水車小屋がある。農の会ではこの水車でお米をついて、精米までしたことがある。大きな米蔵であった土蔵では、農の会芸術祭を開催したこともある。自分の絵をそうした中で見て見ることはとても良い体験になった。

開成町での露木町長はとても先進的な人だ。開成町の旧家出身の方で父親も町長を長くされたそうだ。そして、NHKに勤務していたのをやめて、開成町の町長になった。確かに有能な方で、国の地方行政刷新の審議会の委員などもしている。しかし、その審議会でも渦に巻き込まれたように結果は出せないではいる。意欲のある方だから、開成町でも事業仕分けを取り入れようと考えた。事業仕分けを昔から提案してきた、構想日本の協力で事業仕分けを行った。その結果瀬戸屋敷の廃止が決まった。本来なら、その仕分けに従うべきだ。それが町長の責任である。ブログの様子では、そんな決意をしたようには見えない。気に入らない結果は受け入れない。気に入った結果は利用する。これがどうも仕分けの利用の仕方のようだ。仕分けのつまみ食い。

小田原市でも仕分けを行った。何一つ生かされていない。生かされたと言えば、はやりの仕分けを取り入れる、先駆的な市長というイメージアップだけである。一種のパフォーマンスである。仕分けで廃止が決まったら、従うという覚悟が無いなら、仕分けなどやらなければいい。自分が廃止したいとか、いらないと考えてはいるが、市長から福祉部門の廃止など主張すればマイナスイメージになる。だから、仕分けを使う。仕分けで廃止が宣言されたからを理由にしようということである。多くの場合廃止の決まった事業は外部委託が進む。多分瀬戸屋敷も外部委託で済まされることだろう。瀬戸屋敷の価値を事業仕分けした人間が理解できない。国の仕分けでは有機農業の価値が理解できず廃止がされた。ありがちなことである。瀬戸屋敷の未来的価値、有機農業の意味。これを部外者に理解しろという方が無理である。そうした価値を切り捨てて毎日生きているのが日本人である。

瀬戸屋敷は未来的価値として構成されなければ、明治村のようなものだ。ノスタルジックな観光施設である。そんなものはいらないというのが、当たり前の判断であろう。多分瀬戸屋敷のコンセプトがまだ曖昧だ。古い立派なものだから残そうというなら、小田原城が史跡なのか、公園なのかで、立派な森を切り払うことの是非が今問われていること同じだ。瀬戸屋敷をこの機会に何であるかを問い直すべきだ。問い直せないなら廃止。瀬戸屋敷が出来るといので、このことを提案したことがある。取り合ってももらえなかった。瀬戸屋敷の何たるかが定まっていないから、観光スポットなのか、文化財なのか、公民館なのか、見えない不思議な施設になっている。「暮らしの再生の拠点」これが本来の目的ではないか。

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