WHOのオオカミ少年
ワクチンはまだ充分解明された、医療方法とは言えない。今回のWHO発の新型インフルエンザ騒動は、まさにオオカミ少年であった。いまだ反省もせず、まだパンデミックの再発もあるから要注意である。などとデマを流し続けている。6月の時点でもレベル6を確認した。病気と言う誰もが避けられない、不安をついたデマだから悪質である。長妻厚生労働大臣は、次の流行に備えて、今からでもワクチン接種するのが有効だと、デパ地下の試食担当のようだ。どれだけのお金が無駄にされたのだろう。余って捨てたものが、30億円とか。9000万回分が廃棄される。無駄に、人間に注射しなかったからよかったとも言える。間違えは間違えと認めないと、次に起こる本当のパンデミックの対策にならない。医者と製薬会社のしがらみのようなものが、見え隠れするだけに怖ろしい事だ。
今回のメキシコ発の豚インフルエンザは始めから世界流行した所で、それほどの死者が出るものではなかった。それでは、次の新型インフルエンザもそうかと言えば、そういう訳にはいかない。この違いを反省しなければならない。新型であったのか。あるいは高病原性であったのか。科学的に疫学的に検証する必要がある。これだけ大きな社会実験が行われたのだ。無駄にしてはならない。そういう検証がされないから、口蹄疫騒動になる。とんでもない結果がでる事を恐れず、正確に検証しなければ、次の流行に対処できない。なにしろ、畜産はより危険な所に向かっている。中国が極端な大規模畜産を進めている。うなぎの養殖の実態から考えても、健全な大規模畜産とは到底思えない。悪口ではなく、とてもいいことだとおもっているのだが、中国人は汚さに強い。人間の糞尿が、あふれ出しているトイレの脇で、生ごみ10メートルもの山の脇で、それを眺めながらでも食事が出来る。たいしたものだと思っている。しかし、そういう感覚で、もし、大規模養鶏がやられるなら、どう言う事になるかが、空恐ろしい。
「薬があるから大丈夫。」こういう養鶏になるだろう。予防薬、消毒の発想。自然と調和するのでなく、特別な家畜用の空間を作る発想。ある飼育空間だけ、人工的な清浄空間を作る。そんなことは実は、出来ない事なのだ。1万人の都市をそのまま一つの豚舎にする。糞尿は床への垂れ流しである。どれだけ清掃を行おうが、消毒をしようが、無菌状態を保つようなことは不可能である。トキセンターのテンを考えてみれば分かる。誰だって出来る限りの事は考えて始める。それがゴキブリ1匹で崩壊する。生き物を飼うとはそういう物なのだ。100万とか言う巨大な畜産を行えば、かならず、人類を滅ぼすような新しい、感染症が登場する。大規模畜産を早急に中止しない限り、必ずそういう新しい病気が登場する。
医学分野は発展途上である。特に免疫学はまだ手探りをしている所だ。今回のパンデミック宣言まであった、インフルエンザ騒動は、疫学的に意っても、免疫学の新しい研究結果としてもとても重要である。自然養鶏の考え方が、間違っていないらしいと言う一つの検証であったとおもっている。一度感染すると言う事で、免疫とは言えないが、ある受動体のようなものができるらしい。これは今のワクチンで出来る免疫とは違う仕組みらしい。自然養鶏をやっていれば、そういう仕組みがあるらしいという、事は想像できる。自然感染して発病をさせないこと。これが生涯続く、免疫のもとを作り出す。なぜ、口蹄疫でも感染をしないものと、簡単に感染するものがいるのか。このことを充分に検証するべきだ。